story
かつて世界には魔道書と呼ばれる書が存在した。
その書は、強大な力を持っており、その書に記述してある呪文を唱えると、異世界のモノを召喚できるという、摩訶不思議な書であった。
そして、その書はこの世界のものではなかった。
なぜ異世界からきたこの書が、この世界に存在するのか。
なぜこの書は、異世界のモノを召喚できるのか。
その理由は、今でも不明であった。
そんな魔道書は、世界各地に散らばっており、かつてはその書を使った、召喚術というものが存在した。
召喚術は一部の人間しか扱う事ができず、召喚士と呼ばれた者たちは憧れの存在だった。
書から呼び出すモノたちは、人間の姿をしているものや、獣の姿をしているものなど、多種多様なものだった。
中でも、天使と呼ばれる者たちは、全てを凌駕するほどの力を持っていた。
圧倒的な力で全てを支配するその力は、人間達にとって神のようであり、化物であった。
そしてその天使と対抗できる力を持つ者達がいた。
それが、悪魔であった。
悪魔は、人間達に甘い言葉をささやき、この世界に姿を現した。
そしてその次に、世界を混沌に陥れた。
かつて存在していた文明は滅びていき、世界は一度、リセットされた。
悪魔達に対抗できるのは天使達しかいない。
人間達は必死に天使達を求めた。
天使達は、なにかを懐かしむような表情を浮かべ、人間達の要求に答えた。
そしてその条件に、悪魔達が封印されている書を全て燃やすことを求めた。
人間達はその条件を受け入れ、天使と人間は手を取り合った。
天使は聖なる力を持って、悪魔達を消滅させていった。
人間は科学の力を持って、悪魔達の書を消却していった。
そうして、人間は悪魔達から世界を4割ほど取り戻した。
ある日、神童と呼ばれる少女が世界に誕生した。
その少女は、天使達から愛され、悪魔達からも愛された。
そんな少女に恋をした愚かな少年は、少女を自分の物にするために、ある存在をこの世界に呼び出した。
それは、ルシファーという堕天使だった。
ルシファーは天使の聖なる力を持ち、悪魔の邪悪なる力も持っていた。
彼はどの天使達、悪魔達よりも圧倒的なその力を振るい、世界を滅びへと向かわせた。
少女は少年とルシファーを止めるために戦った。
四大天使と呼ばれる存在を召喚し、時には悪魔をも呼び出した。
少女はただ、夢中だった。
世界を救うためではなく、少年を救うために。
かつての優しい少年を取り戻すために。
そして少女は、ルシファーをも凌駕する存在を召喚する。
それは名を持たぬ、かつては少女と同じ人間だという、神様であった。
いや、彼は人間だった。神から神の力を奪い、人間をやめた、神のなり損ないだった。
名無しと呼ばれたそれは、少女を愛した。
少女もまた、名無しを愛した。
二人は少年とルシファーを倒し、世界を救った。
そしてその後、少女は魔道書を全て消却した。
二度とこんなことが起きないように、悪魔の書も、天使の書も全て。
この世に存在する全ての魔道書を消却した。
そして少女も、この世から去った。
しかし、ある一冊の魔道書が見つかる。
それは、何も記述されていない、空白の魔道書だった。
***
目の前の空白の魔道書を見つめる一人の青年。
青年の顔は、絶望していた。
あぁ神よ、貴方はどうしてあの子を連れて行った!
九尾の狐は、ただ彼を見つめていた。
この世界に、君の世界の居場所はない。
彼はただ淡々と言った。
彼女は魔道書が作り出した、完全な世界にいる。あとは、君次第だ。
彼はそう言い放った後、消えた。
淡い緑の髪を揺らしながら。
青年はただ絶望していた。
しかし、神の言葉を理解したその後は、笑った。
大声を上げて笑った。涙を流しながら笑った。壊れたおもちゃのように。
居場所がないのなら作ってやる。
この世界を奪って、作ってやる。
不完全な世界しか生まれないのなら、完全な世界を喰らえば良い。
それなら、きっと僕の世界は完璧なものになる。
あぁ、それに、僕の世界には僕と君がいればいいから、邪魔者は排除しよう。
そうして生まれる、動物達。
動物達は、笑い声を上げて、手に持つ凶器を振り回し、ただ楽しそうに笑っていた。
彼も同じく、笑っていた。
そうだ、番人も必要だよね。
僕と君の世界を護ってくれる、番人。
彼はペンを手に持ち、空白の魔道書に物語を描く。
止まらない執筆、止まらない物語の創造。
彼の周りは、御伽話の世界が生まれていた。
待っていて、僕のアリス。今すぐに、迎えにいくからねー。
魔道書から生み出された懐中時計が、時を刻み始めた。
***
母さん、と少年は呟いた。
黒い髪に青空の輝きを放つ瞳をもつ少年は、目の前にいるモノを母と呼んだ。
目の前にいるモノは、母とはとても思えない、むしろ人間とは思えないほどの酷く醜い化物がいた。
手足を捥がれ、目を潰され、内蔵を散乱させ、それは跡形もなくバラバラになっていた。
そして化物はバラバラになったそれらを一つ一つ組み合わせ、一つの姿を形どっていた。
それは、人間だった。
みずぼらしい、ぼろぼろで、黒く汚れたドレスを身に纏い、手には絵本を持ち、化物はぴちゃべちゃと音を立てながらくるくる回っていた。
まるで王子様と踊っているように。
化物はくるくる、くるくると回っていた。
そしてそれの周りには、御伽話に出てくる動物達が居た。
小鳥、ネズミ、鹿、兎…。
とてもかわいらしい動物達だが、それらは赤を帯びていた。
真っ赤に、真っ黒に、染まった動物。
楽しそうな声を上げて、それらは少年の周りを囲み始めた。
さぁさぁいらっしゃい、こっちへおいで。
少年を誘うように動物達は戯れ始める。
その手に、凶器を持ちながら。
その声に、狂気をもちながら。
少年はただ泣いた。どうして、こうなってしまったのか。
目の前で踊る化物と、周りで戯れる動物達。
そこはまるで、狂った御伽話の世界。
きらびやかな王宮とはほど遠い、赤く染まったその場所に、いつになったら鐘がなるのだろうか。
魔法が解ける12時を告げる鐘は、ただ沈黙を保つ。
これは終わらない夢だと言うように。
少年は化物が持っている、血に塗れたその絵本を見つめながら、ただ泣いていた。
***
春の訪れを感じる、あたたかな風。
新しい制服に身を包み、得意げに笑う少年。その隣で、嬉しそうに笑う両親。
少年は高校の入学式で、両親と楽しげに、新しい生活が始まることに希望を抱いていた。
その少年の名前は、灰藤慎也。
後に、世界を救う男の名前である。
「慎也、笑って笑って!」
友人が笑って灰藤にカメラを向ける。
カシャ、カシャとシャッター音が響く。
「なにいきなり写真とってんだよ。」
灰藤は苦笑いを浮かべた。全く、高校生になってはしゃぎやがって、と言いたげな顔をしていたのか、友人はそんな灰藤を見て、「高校生になったんだ、はしゃいじゃうだろ」といって写真をとる手を止めなかった。
灰藤はそんな友人を見て、変わらないなぁと呟く。
彼とは出会ったときから、写真を取るのが大好きな少年だった。
いつも片手にカメラを持って、何かを撮っていた。
それは、空だったり、路上だったり、花だったり、虫だったり、近所の犬だったり。
彼はなんでも撮っていた。なんでそんなものを撮ったんだ、と思うようなものまで、全て。
全くお前の写真好きは相変わらずだな、と灰藤は言いながら、その友人の肩に腕を置いた。
友人と楽しく過ごす、灰藤にとっての日常だった。
入学式が終わった後、両親は入学祝いだと、豪勢な料理を沢山作ってくれた。
中には、灰藤の好物であるカボチャのスープがあった。
嬉しそうに笑う灰藤に、愛おしさを抱く両親。
この日は、彼にとって、特別な日となった。
新しい生活の始まり、いつもと違う料理を囲んで楽しく食事。
あぁなんて、素晴らしい一日だったんだろう。
彼は嬉しくなって微笑んだ。
しかし、彼の望んでいた日常は、希望に満ちた世界から、絶望に満ちた世界となる。
灰藤はベットの中で、そんなことも知らず、ハンガーにかけた制服を見つめながら明日からの生活を楽しみにしていた。
灰藤は入学式の次の日、学校帰りに町にあるお店へ行くために足を運んだ。
自分もなにか両親にプレゼントをしたかった。自分は高校生になったんだ、ここまで育ててくれてありがとう。そんな気持ちを両親に伝えたかった。プレゼントは一体どんな物がいいだろうか。両親は読書が好きだ。なら、本をプレゼントするべきだろうか、でも何を買えば?灰藤は頭の中でそんなことを考えながら、町を歩いていく。ふと、目の前の信号が赤く光る。灰藤は足を止め、青信号になるまで待っていた。その時、
「こんにちは」
突然後ろから男性に声をかけられた。
その男性は見慣れない服装で、まるで御伽話からやってきたかのような姿をしていた。
「こ、こんにちは…」
少々警戒しながらも、灰藤はその挨拶に答えた。
男性はにこりと笑みを浮かべ、そして彼に言った。
「君は、もしかして本を探しているのか?」
「えぇ。」
「やはり、君の顔に書いてあったよ。本を探していると。」
そういって灰藤のほっぺたを指差す男性。髪の狭間から見える赤い瞳がこちらを見つめていた。
そして男性は上着からなにか本を取り出すと、灰藤にその本を差し出した。
その本の表紙には”灰被り姫”というタイトルと、ガラスの靴を履いたお姫様の絵が描かれていた。
「…これは?」
「これは俺が執筆した本だ。俺は作者をやっていて、最近は童話を書いているんだ。」
「どうして俺に、この本を?」
「悲しいことに、売れ残ってな。このまま捨てるのも本が可哀想だから、どうしようかと思っていたら、丁度君が目の前を通ったからね。それに君は本を探しているようだったから、声を掛けた。お金もなにも取らないから、ぜひ受け取ってはくれないか。」
イヤだったら断っても良い、そういいたげな表情を浮かべた男性をみて、灰藤はそっとその本を手に取った。
「わかりました。じゃあ貰っておきます。ありがとうございました。」
灰藤はその本を貰い、一つ挨拶をしてその男性と別れた。
丁度信号も青になっており、人達は歩き始める。
灰藤は、貰った本を見つめながら、楽しげに家路を歩いていった。
別れ際、その男性が口を、目を歪ませ、笑っていたことを知らず。
これが、悲劇の始まりとも知らず。
本をもらって帰ってきた灰藤は、その本のことを両親に伝えた。
おかえり、といって笑っていた両親は、その本を見てとても懐かしい顔をした。
「あら懐かしい、シンデレラじゃないこの本。」
「シンデレラ?」
灰藤は首を傾げた。これはそんなに有名な本だったのか、と。
「これはね、シンデレラと呼ばれた女の子のお話なのよ。貴方はこの話、知らなかったのね。」
懐かしい、という表情を浮かべる母。そんな母を、灰藤はただ見つめていた。
そっと母がページをめくった瞬間、その刹那、灰藤の世界が壊れた。
崩れていく世界、日常。
灰藤の世界が黒に染まる。
終わりを告げる鐘がなる。
始まりを告げる鐘がなる。
目を開くとそこは、まるで舞踏会だった。
周りには、美しい装飾に身を包んだ女性や男性達。
優雅な音楽が流れて、皆楽しそうに笑っていた。
灰藤は、何が起きているか分からなかった。
だって、その人達は、いかにも舞踏会では必要のない、刃物を持っていたから。
遠くで誰かの叫び声が聞こえる。しかし周りの笑い声でそれは灰藤の耳には届かなかった。
あはは。うふふ。
優雅な音楽に合わせて踊る人間達。いや、あれは、はたして本当に人間なのだろうか。
「あ…あ…」
灰藤はただ、間抜けな声を上げる事しか出来なかった。
目の前に迫ってくる人間達。あはは。うふふ。あはは。
灰藤は何も出来なかった。動けなかった。ただ、周りのきらびやかな世界にのめり込まれたかのように、まるで何者かに、動けなくされているかのように。まばたきすらも出来なくなった身体を、ただ振るわせていた。
「灰藤!!!」
母の声が聞こえた。灰藤は母親の声に導かれるように後ろを振り向く。
「母さー」
次の瞬間、彼の視界は赤く染まる。
周りの人間達は、笑いながら、母を切り刻んでいたから。
あはは。ぐちゃり。うふふ。ぽっきり。ひひひ。
母、否、母だったものが、バラバラにされていく。
そして、その肉片の近くには、書があった。
そう、灰藤が男性からもらった、あの本。
その本はバラバラと音を立て、その肉片を喰らうかのように吸収していく。
周りにいた、母をバラバラに切り裂いた人間達が、あはは、うふふと笑いながら、母の肉片と共に書の中に吸収されていき、そして書は一つの姿を形どる。
それは醜い、化物の姿。
「母さん」
少年は呟いた。
遠くで、誰かの笑い声がした。
***
灰藤はただ逃げていた。目の前の化物から。
化物は灰藤を取り込もうと、彼に向かって何度も腕を振るってきた。
息が上がって苦しい。喉が痛い。血の味がする。
灰藤はただ走っていた。どこに向かっているだなんて知らず、ただただ走った。
そこは迷宮のようだった。
あの部屋から抜け出したものの、そこからはただ長い廊下が続いていた。
ところどころが赤いのは、きっと誰かが、ここでー。
灰藤は吐きそうになった。しかし、吐いている暇はない。
後ろには、あの化物が居るのだ。
母を取り込んだ、あの化物が。
あはは、うふふ、いひひ。
笑い声が聞こえる。あぁ、耳障りだ!
灰藤は耳を塞いだ。
止まらない笑い声。止まらない化物の攻撃。
ただ逃げる事しかできない灰藤は、ただがむしゃらにここから出ることを考えていた。
しかし、ここから出さないというように、世界は形を歪ませる。
瞬間、灰藤の目の前に壁が生まれる。
行き止まり。
行き止まり。
行き止まり。
灰藤は絶望した。
後ろを振り返ると、そこにはにたりと笑った化物が。
目があった場所からは、赤い液体が流れている。
「あ…あぁ…」
灰藤はそれしか言えなかった。終わった。詰んだ。もう駄目だ。
死にたくない、と強く思った。
助けてくれ、と強く願った。
化物はそれをあざ笑うかのように、灰藤に向かってその腕を振りかざした。
しかし、その攻撃は灰藤の息の根を止められなかった。
なぜか。それは灰藤と化物の間には、先ほどまで居なかった人がいたからだ。
「…!?」
「…まさか、人がいるとはな。」
その男性は化物の腕を剣一つで受け止めていた。
「ふんっ」
男性が剣を振るうと、化物はそれと同時に後ろへと飛んでいった。
化物が手に持っていた書が落ちた。
男性はそれをすかさず拾うと、少年の方に投げつけた。
「その書は絶対に開くなよ、少年。」
男性はそう告げると、化物が飛んでいったであろう場所へと向かっていった。
「…。」
灰藤は何も言えなかった。ただ、血に塗れたその書を手にもって、ただそこで座り込んでいた。
さっきの男性は何者だったのだろうか。
なぜ、自分を助けた。
なぜ、化物をあんな簡単に吹き飛ばした。
なぜ…
疑問は尽きなかったが、手に持っていた書を見つめる。
俺が、母さんに渡した本。
母さんが開けてしまった本。
「…。」
灰藤はただ沈黙を保った。
ぼんやりとその書を見つめていると、誰かの声が聞こえた。
『可哀想な王子様。』
灰藤は驚いて、周りを見渡すが、そこに誰もいなかった。
ふと手に持った書を見るが、それはただ赤くなっていただけでなにも変わってはいなかった。
「…なんだったんだ。」
立ち上がり、とりあえずはやくここから出よう、と思った灰藤はその書を持って先ほど走っていた道を戻った。
長い廊下を歩いていると、先ほどはなかったはずの階段がそこにはあった。
もしかしたら、外へ出られるかもしれない。
そんな希望を抱きながらも、灰藤はその階段を下っていった。
彼が座っていた場所には、友人が持っているカメラとよく似たカメラが落ちていた。
そのカメラは、赤黒く変色して、所々が壊れていた。
***
下る下る階段。終わらない螺旋階段。
いつになったらこの階段が終わるのか。
それは誰にも分からない。
灰藤はずっと階段を下っていた。
いつまで続くのかと考えていたその次の瞬間、地響きがした。
「…なんだ?」
不思議に思った灰藤だが、もしかしたら先ほどの男性と化物が戦っているのか、と思うとすぐ納得した。
しかし、どうして彼はあの化物に対抗できたのだろうか。
自分は、逃げる事しか出来なかったのに。
何も出来ず、ただ目の前で母を失った。
バラバラにされる母をただ見つめることしかできなかった。
強く壁を殴った。
どうして自分には力がなかったのだろうか。
あの人のように、力があったら、自分は、母を護れたのだろうか。
どうして自分はこの本を受け取ってしまったのだろうか。
自己嫌悪し、灰藤は一度立ち止まる。
なんで、どうして、そんな止まらない自問。
答えなんて分かりきっていた。
「あああああああああ!!!!」
灰藤は泣いた。先ほどよりも大きな声で泣いた。
自分を愛してくれた母。自分を今まで育ててくれた母。
大切な母。
そんな母が刻まれていくのを呆然と見ている事しか出来なかった愚かな自分。
母を失った悲しみが、灰藤を強く責め立てる。
ふと、父のことを思い出した。
父さんは、父さんは無事なのか。
あの時、父はまだ帰ってきていなかった。
なら、まだ父はー!
灰藤は急いで階段を下っていく。
父はまだ生きているのではという希望を求めるように。
母を失い、次に父を失うという絶望から逃げるように。
ドン、と強い衝撃が走った。
瞬間、灰藤は下へ落ちていった。
***
そこは、先ほどいた場所だった。
あははうふふと楽しそうに笑う人間達。
楽しそうに戯れる動物達。
そして、ダンスを踊り続ける、化物。
「なんで…」
「少年!」
と、声が聞こえた。
そこには、さきほど灰藤を助けた男性がいた。
「あなたは…!」
「いいからはやく逃げろ!!」
と、また別の声が。
ふと周りを見渡すと、そこには、求めていた父の姿があった。
「父さん…!!」
父は左腕を失い、周りを赤く染めていたが、なんとか意識はあった。
灰藤は急いで父の元へと向かう。
父は、顔を歪ませて叫んだ。
「慎也!!!くるんじゃない!!!!」
灰藤は足を止めず父の元へと走る。
父の後ろに、のこぎりを持った女性がいることに気づかず。
男性はそれに気づき、灰藤を止めようとするが、
間に合わなかった。
灰藤は、無事だった。
父は、無事ではなかった。
灰藤を庇った父は、背中に大きな傷をつくり、そして、残りの力を振り絞って、灰藤に言った。
「逃げなさい。」
そういった父は、うなだれた。
灰藤の世界を赤色に染めながら。
「父さん」
灰藤は、声を漏らす。
「父さん、父さん…」
母と父を、目の前で失った。
灰藤は、呆然とした。
「とうさん」
自分を庇って、いなくなってしまった二人。
灰藤は、己を責めた。
「あああああああ!」
目の前の女性はただ笑った。うふふふあはははきひひひ。
そしてまた、のこぎりを振りかざす。
「少年!!!」
男は叫ぶ、逃げなさいと。
だが、灰藤は逃げなかった。逃げる気がなかった。
灰藤が書を強く握りしめたその刹那、彼の世界は黒く染まる。
***
『力が欲しい?王子様』
うふふ、と笑う少女。
それは聞いた事のある声だった。
「…君は。」
『私?私はシンデレラ!貴方のお姫様よ!』
にこりと笑って答える少女。お姫様、とはいっているものの、格好はどうみてもみずぼらしく、ぼろぼろになった服で、とてもお姫様とはいえるような格好ではなかった。
『王子様、それで最初に聞いたことに戻るけど、力が欲しい?誰かを殺す力、誰かを護る力。王子様は、力が欲しいんだよね。だって自分には力がないって分かっているもの!だから目の前で、失っちゃったんだよ?貴方の大切な存在が。でもまぁ、私にとっては嬉しい事だけど!だって邪魔者がいなくなったんですもの!うふふ!なんて可哀想な王子様!』
「…うるさい」
灰藤は耳を塞いだ。
だが、少女がその腕を外す。
『だから私、王子様の力になりたいの。』
「…!」
『王子様が困ってるんだったら、助けてあげたいもの!だって私はお姫様だもの!愛おしの王子様を助けることなんて当たり前よ!だから、早く私に会いにきて?』
「会うって言ったって…!」
『簡単よ、書を開いて、私の名前を唱えるだけよ。』
「それは…」
灰藤はふと思い出した。あの男性からもらった書を。
母の血で赤く染まった、その書のことを。
『さぁ王子様、運命の鐘は鳴っているわ。さぁ早く…』
『私の元へと堕ちてきて。』
***
「力を寄越せ…」
灰藤は書を開く。
のこぎりが迫る。
沈黙を保っていた鐘が鳴り始める。
男性は目を見開く。
刹那、風が起き、光が生まれた。
「ーシンデレラ!!!」
書が光る、風が吹く、のこぎりは光に当たった瞬間消え、女性も消えた。
そして、魔道書の光から、先ほどの少女が現れた。
『あぁ!ようやく会えた!私の王子様!』
少女は灰藤の顔に手をあて、キスをする。
それは、魔法のキス。
灰藤はまばゆい光に抱かれ、姿を変えた。
それは、王子様。
黒い髪は黄金の光を放つ金色の髪に。
服装はシンデレラの御伽話に出てくる王子様のような、きらびやかな服装に。
靴はガラスで出来ており、光を放っていた。
水色の瞳をいっそうに輝かせながら、灰藤は王子様に変身する。
シンデレラに恋をした哀れで愛しい王子様。
ガラスの靴一つでお姫様を探し出した王子様。
運命の鐘はこの時を待ちわびていたかのようになり続ける。
手にレイピアを持ち、王子様は化物と対峙した。
化物は、すぐさま灰藤に襲いかかった。が、何も出来なかった。
化物が攻撃を仕掛ける前に、灰藤は懐からナイフを取り出し、化物に投げていった。
目を、胸を、首を、足を。
投げたナイフは全て命中し、化物は血を噴き出しながら、声を上げた。
灰藤はそんなことに気もくれず、ただ次の攻撃をする。
数えきれないほどの量のナイフを、化物に向かって投げていく。
マントをひらひらとはためかせながら、彼は化物の部位を的確に狙ってナイフを投げていた。
ある程度化物の動きが止まった途端、灰藤はレイピアを化物に突き刺した。
止まらない攻撃、止まらない声、止まらない血。
その様子を、男性はただ見守っていることしかできなかった。
「これで、仕舞いだ。」
その灰藤の一言と共に、化物は倒れ、消えていった。
どこか穏やかな顔をしていた化物は、『ごめんね、ありがとう』と一言呟いていたような気がしたが、それはあまりにも小さく、灰藤の耳には届かなかった。
***
「まじかよアイツ適合者だったのかよ!」
世界が消えていくのを見つめる影一つ。
手には羽ペン、そして本を持っていた。
何も描かれていない、空白の書。
「渡す相手間違えたかもなぁ〜いや、正解だったか?」
ううんと声を漏らす影。と、そこにまた一つの影が生まれる。
「おやおや、もしかして、適合者だったんですか?あの少年は。」
「もしかしてもなにも、適合者だったよ!しかしまぁ、これで楽しくはなるんじゃねぇか?蒼竜以外の適合者なんて、どれもクソみたいな奴ばっかりでつまらん!」
「ははは、それには同意です。」
笑い合う影二つ。
楽しそうに話す影一つ。
笑い声が止まったその場所に、影は一つもなかった。
***
先ほどまでの、狂った世界が消えていき、世界は元の姿に戻った。
しかし、そこに母と父の姿はいなかった。
灰藤はただ、呆然と立ち尽くしていた。
夢かと思ったが、手にある赤く染まった書は、夢ではなく、現実だったと訴える。
書を持つ手が震えたが、その手を強く握った人がいた。
驚いた灰藤が、前を見るとそこには先ほど自分を助けてくれた、男性の姿があった。
「まさか、適合者だったなんてな…。…自己紹介がまだだったな、私は蒼竜元道。図書館の魔道書回収部隊第1隊、グリム隊の隊長だ。君が今日見た、化物達と戦っている、専門部隊と思ってくれれば良い。」
「図書館…。」
「君は民間人だったな。だから今日見た世界がどういったものなのか、あの化物は何なのか。知らないのだろうな。」
そういうと、蒼竜はこの世界について語り始めた。
灰藤はただ、その話を黙って聞いている事しか出来なかった。
***
この世界には作者と呼ばれる存在がいる。
魔道書を書くことができる人物。それが作者である。
空白の魔道書を持つ作者達は、メルヒェンヴェルトと呼ばれる童話世界を生み出す。
その世界は、不安定な世界だ。
だからその世界は完全な存在である現世を喰らい、完全な世界へと化していく。
童話の世界というと、可愛らしい、ファンタジーな世界を思い浮かぶ人も多いだろうが、この世界は違う。
化物が徘徊する、混沌とした世界だ。
化物達は、童話に出てくる可愛らしいキャラクター達だが、その手に持っているものはその可愛さを一気に恐怖へと変える。
赤に染まった凶器達。包丁だったりナイフだったりのこぎりだったり拳銃だったり。
可愛らしい外見に騙されて殺される人間達も多い。
彼らはネヴェンと呼ばれる化物だ。
人間を喰らう、化物。
人間を喰らったそのネヴェンは力を付け、そしてまた新しく童話が生まれる。
非常に厄介な存在だが、ただの人間でも倒すことが出来るし、なによりメルヒェンヴェルトの世界でしか生きる事が出来ないため、そのメルヒェンヴェルトを消せばいい。
しかしそのメルヒェンヴェルトを消すには、最深部にいるヘルドと呼ばれる化物を倒さなければならない。
それは強大な力をもつ化物で、ただの人間では太刀打ちどころか、手を出すことすらもできない。
ヘルドはネヴェンと同じく、人間を喰らう。
そして力をつけ、メルヒェンヴェルトを拡大させ、世界を喰らう力を付ける。
このヘルドを倒さないかぎり、メルヒェンヴェルトは消えない。
魔道書が作り出した世界をメルヒェンヴェルトというが、実際は魔道書から生み出されたヘルドが作り出した世界をメルヒェンヴェルトといわれる。
世界はメルヒェンヴェルトによって約7割が侵食されている。
作者達によってメルヒェンヴェルトは常に生まれ、以前までは何も出来ずただ世界が混沌と化していく様子を眺める事しか出来なかった。
しかし、ある男がヘルドと対抗する術を見つける。
彼は作者であった。
作者ではあったものの、現実の世界を愛していた。
だから、現実の世界を取り戻す為に、彼は書を生み出した。
そう、魔道書を。
そして彼はその魔道書を使い、その力を自分の身体に宿した。
超人的な力を手に入れた彼は、ヘルドを倒し、メルヒェンヴェルトを消滅させることに成功した。
メルヒェンヴェルトを消滅させる方法を知った彼は、ある組織を立ち上げる。
ヘルドや自分と同じ作者に対抗するための組織、図書館を。
図書館は魔道書の力を身体に宿すことが出来る人間を集めた。いわゆる、適合者を。
魔道書は全ての人間が使えるわけではなかった。
適合しなかったものは、ヘルドとなり、メルヒェンヴェルトを生み出した。
適合したものは、彼と同じく超人的な力を手に入れ、ヘルドを殺しメルヒェンヴェルトを消滅させた。
この世の全てのメルヒェンヴェルトを消滅させ、この世の全ての魔道書を回収することが、図書館の目的であった。
メルヒェンヴェルトを消滅させた後、魔道書を回収し、その適合者を見つけ、ヘルドに対抗できる人数を増やし、そしてまたメルヒェンヴェルトを消滅させ、そしてまた新たな適合者を見つける。その繰り返しを続け、ついに図書館は、一つの大きな組織になった。
***
灰藤は普通の子供だった。
優しい母と父を持ち、幸せな家庭生活を営んでいた、ただの一般人であった。
メルヒェンヴェルトだの、ヘルドなど、ネヴェンなど、そんな非現実的なものとは無縁の生活を暮らしてきた。
図書館が魔道書の力で作り上げた大きな壁。これによりメルヒェンヴェルトは灰藤が生活していた町に出現しなかった。だから、無縁の生活を営む事が出来たのだ。
壁がなかったころは、皆危険と隣暮らしの生活で、警戒しながら生活していたが、壁ができたことにより、その警戒心が無くなり、みなそのことを忘れていった。
灰藤も両親も、その一人だった。
ニュース番組は灰藤の住む町のことしか伝えない。だって、他の町のことを放送すると皆混乱してしまうから。
ニュースは町のどこかで起きた事故について報道しており、両親達は心配そうな顔で、灰藤を見つめる。
事故だって、怖いね。慎也も、気をつけなきゃ駄目だよ。
そんな両親に、灰藤は大丈夫だよ、心配しすぎ。と一言呟いた。
平凡な生活をいつものように繰り返すだけ。あぁ、なんて平和な世界だろう。
しかし、そんな平和はもう二度と戻ってはこなかった。
***
「君は適合者だ。」
蒼竜は灰藤に向かって言った。そして灰藤の前に手を差し出した。
「ぜひ、私たち図書館の一員になって、世界を救って欲しい。」
灰藤はなんとも思わなかった。ただ、この世界が滅亡の危機を迎えているなんてこと、知りもしなかったが、知ったところで、どうでもよかった。やることもないし、やりたいこともない。
そう思っていた灰藤だったが、ふと家の中に置いてあった、一枚の写真を見つけた。
それは、入学式に撮った写真。最後に撮った、家族写真。
楽しそうに笑いあっている、自分と家族。
「…。」
灰藤は、この世界が大好きだった。正確には、家族と、友人と過ごす日常が大好きだった。
しかしそれはもう、二度とは戻らない。
「…まぁ、君の意思は関係なく、図書館には来てもらう事になるんだが…。」
蒼竜は苦い顔をしてそういった。灰藤はそんなことも気にせず、ただ淡々といった。
「べつにいいよ。」
どうでもいいから、と灰藤はそっぽを向く。蒼竜は苦笑した。
その言葉を肯定と判断した蒼竜は、耳に手を当て何かを話しているようだった。
…わかりました、そう蒼竜が言うと、灰藤の手をとり、そして言った。
「今日から君は、図書館の仲間だ。」
どこか悲しげに笑うその表情に、灰藤はただ遠い向こうの空を見ていた。
第一話 完