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大切なものを失った彼は、かつての心を捨てた。

だとすれば、彼の心は一体どこへ捨てられてしまったのだろうか。

その心は、誰の手に渡ってしまったのだろうか。

彼は遠くを見つめながら手に持っていた書を見つめる。

 

…その書は、何も記されていない空白の書だった。

 

***

 

ヘルドという化物を殺した後、灰藤は図書館という組織に引き取られた。

そこは魔道書を専門とする特殊組織で世界に散らばる魔道書を全て回収し管理するのが図書館の目的だという。

全ては蒼竜から聞いた話で、あの後彼から図書館のこと、世界のこと、魔道書のことを聞いた。

だがどれも灰藤の記憶には残らなかった。

羅列した言葉は耳から取り入れても頭には行かずそのまま通り過ぎていった。

それほど灰藤にとって、それらの情報はどうでもよかった。

図書館という組織がなにをしようとも、世界がどうなろうとも、魔道書のことだって、灰藤にとってはそれらの情報を知ったところで無価値であり無意味だと感じていたからだ。

 

———全てを失ってしまったあの日、彼の心はどこか壊れてしまった。

 

あの日、あの時、目の前で。

大切なものを失っていく虚無感、絶望感。

体の芯から冷めきっていく、あの感覚。

灰藤はそっと自身の唇に触れる。

彼が覚えている感覚はそれだけではなかった。

 

『私の王子様』

 

ぼんやりと、少女の姿を思い描く。

みずぼらしく薄汚れた衣服を纏っていた少女。

うふふ、と不気味な笑みを浮かべていた少女。

自分のことを、王子様と嬉しそうに呼んでいた少女。

 

———狂おしそうに、愛おしそうに、自分と口付けを交わした少女。

 

その後、何があったかははっきりと覚えていないが、ただ無慈悲に、圧倒的に、かつて母だったモノを跡形もなく散らしていったような気がする。

…あの時、自分はなにをしていたんだろうか。

 

そんなことを思いながら灰藤は、あの後蒼竜に案内された図書館にある学生寮の一室で、そこにあったベッドで寝転がっていた。

家にあったベッドよりも上質なものでできているため寝心地はいいはずだが彼は何も思わず、何も感じずにただ虚空を見つめていた。

灰藤の視界に写っている部屋は薄暗く、家具があると理解できてもどんな色で、どんな形をしているのかは分からない。

そして部屋の窓には美しく輝く欠けた月が、悲しげに彼のことを見守っているようだった。

灰藤はこの場所で、あることを思い描いていた。

それは、少女とキスをした後のこと。

意識がはっきりしたのは、狂った世界、メルヒェンヴェルトが消えた後だった。

さっきまで夢を見ていたような感覚で、今まであったこと全てが悪い夢だったと錯覚しそうになったが赤黒く染まった魔道書が、今までずっと現実だったと知らせているようで、灰藤は再び手を震えさせる。

が、それも一瞬のことだった。

 

もう、そんなこと、どうでもいいじゃないか。

 

何も考えたくない、何も感じたくない。

もう何も、何も———。

 

灰藤はゆっくりと闇の底へと落ちていった。

感覚が失われていく。このまま死んでしまうかもしれない、そんな気持ちになっていく。

あぁでも、死ぬのも悪くないか。

どうでもいいし。

 

———————————————————まだ、早い。

 

どこか懐かしいその声に導かれるように、灰藤の意識は現界へと還る。

 

***

 

「グゥ———————————————————————————————————ッとモーニング新人君!!僕の名前は柳郷ハクギ!この世界で一番美しい美少女とは僕のことさ!おっと僕のことをあまり凝視しないでおくれよ?いきなり一目惚れをされて押し倒されちゃあいけないからね!しかもここは君のベッドの上!これじゃあぜひどうぞと誘っているようではないか!あっちゃあ気が早いなぁ君は!思春期かね?思春期だね!健全な男の子なら仕方ないよ!でも初対面の人にいきなり襲いかかるなんて君は凄いねぇ!一人でヘルドを倒したことも凄いけどそれよりも凄いことをしちゃうんじゃないか!?それは困る!大変困る!でも嫌じゃない…!あぁしかし!しかし僕は同意の上での行為がいいな!というわけなのでお友達から始めましょう…?続きはその後で…きゃっ!恥ずかし!僕なに言ってるんだろ!純情乙女キャラが台無しになっちゃうなぁこれじゃあ!…おっとこんな話をしている場合じゃないな!新しい子が来たって蒼竜さんから聞いたから思わず部屋に殴り込んできてしまったよすまないね新人君!まぁ長くなってしまったが改めて自己紹介を!僕の名前は柳郷ハクギ!好きなモノは美しい自分!嫌いなモノは赤いあいつ!あれは人の食べるものじゃない!見るだけで吐き気頭痛めまい等の症状がでちゃうから僕の前に決してあの赤い悪魔を出すんじゃないぞ!名前を言うだけでもおぞましいからぼやかして言うけど伝わったかな?伝わったね!じゃあ次!僕は君と同じ適合者で契約書は『白雪姫』!美しいこの僕にお似合いの書だとは思わないかね新人君!お姫様があれを食べて仮死状態になったことと赤いあいつが嫌いなことは関係ないぞ!まぁ魔道書と契約する前は食べられたような気がしたけど、まぁそれはどうでもいい情報だね!さて実際に戦闘ではどの役目か紹介しよう!僕は戦闘では盾役として君たち適合者を守っているんだ!聞いて驚いたかな?だって美少女が自分を守ってくれるんだよ?最高だとは思わないかい?だから君は安心し———」

「は?」

 

意識が戻り目を覚ませば、いきなりマシンガントークを食らうとはどういうことだ。

体を起こそうとしたがうまく力が入らず、寝そべったままになった。

どうしてなのか原因を探るため自身の下を視界に写そうとしたが、騒がしい少女の顔が視界一杯に写ってしまい思わず固まる。

綺麗だ。

少女の顔は、見たこともないほどに端正な顔立ちをしていた。

頬は陶器のように白く滑らかで、瞳は鮮やかな赤色で、まるで磨かれた宝石、ルビーのようだった。

その瞳の周りに生えたまつげは長く、一本一本が絹のようで、その赤い瞳の美しさを際立たせていた。

これが、世にいう美少女、というものなのだろうか。

少女の美しさに絶句していたが、ふと、先ほどのマシンガントークをしていた奴と同一人物と考えた瞬間ぼんやりとしていた頭がさっと覚醒する。

 

どうしてこうなった。

いや、知るか。

というか顔異様に近くないかこいつ。

唾飛んできそう。

それよりも退いてくれ。

起き上がれない。

しかしほのかに甘い香りがするのは気のせいだろうか、いや、気のせいにしておこう。

というかさっきのマシンガントークしてた奴と同一人物とか嘘だろ。

うん、嘘だな。

これは夢だそうだ夢だ。

寝よう。

 

灰藤は再び意識を手放そうと目を閉じるが、突然の少女の平手打ちにそれは叶わぬ夢になった。

 

「イテェ!!!」

「なにまた寝ようとしているんだ新人君!もう朝だよ!グットモーニングの時間だよ!おはよう!朝だよ!新しい朝が来たよ!希望の朝だよ!きらっきらに輝くお天道様もにこにこだよ!というわけで目を覚まそうか新人君!もしや君はぐっすり寝てたはずなのにまた寝るなんて成長期なのかな?いいねぇこのままビックボーイになるんだよ新人君!いや、待て…もしかして新人君が再び眠りにつこうとしたのは僕の美しさを知ってしまい現実逃避をしようとしたからなのでは…?お—————っとそれは大変申し訳ないことをしたね新人君!僕ってば美少女すぎて辛いっ!きゃっ」

「違うからな!?」

 

夢じゃなかった。

これが現実か。

 

少女の美しさに絶句してしまった自分が憎くなるほどに、灰藤は気落ちしてしまった。

先ほどまでの暴力的な美しさはどこにいったのやら、それとも目が慣れてしまったのか、再び少女を見ても見惚れてしまうことは起きなかった。

柳郷、と名乗っていた少女と目が合うと、少女はにんまりと、妙に可愛らしい笑顔を浮かべた。

思わず変な気持ちになってしまったがそれは一時の気の迷いだろう。

 

「おや?さっきまで僕の美しさに思わず惚けてしまっていた新人君の顔つきが変わってしまって残念だよ!」

「そうか」

「というか話に聞いていたよりも君の顔は生きていたから僕安心したよ!眠っている間の君の顔を見ていたけどまるで死人みたいな顔してたからまさか魔道書にもぐむしゃされて心が死んじゃったのかと思ってひやひやしてたんだけど、元気そうでなによりなにより!元気が一番!笑顔が大事!さぁ朝のダブルピース体操ッ!まずは両手を前に出しまして〜そのまま手をピースッッッッ!!!!!そして笑顔!にっこり笑うのがポイントだよ新人君!それをまずは十回!十回やろう!さぁ僕と一緒に!ダブルピースッ!!」

「なんだこいつ」

「ダブルピース体操をしない…だと…!?君こそなんだ!なんなんだ!やっぱりさっきの言葉を訂正する!君の心は死んでるよ!今すごい、こう、死んだ奴の目をして僕を見ているから!さっきまでは思春期みたいな目つきだったのになんだこの落差は…。柳郷ちゃんびっくりして思わずピースが触手みたいになっちゃう」

 

なんだこいつ、なんだこいつ(大事なことなので二回言った)。

何を言ってるのかさっぱり分からない上になぜか無性に殴りたくなってくる。

思わず拳に力を込めてしまったがその力はすぐにどこかに消えた。

 

なんだ、まだ、心があるじゃないか。

 

どうしてこんなことを思ったかは理解しようとは思わないが、ただ、体中の力が一気にどこかへ消えて楽になったかのような感覚を抱く。

というかなんでこんな初対面でマシンガントークを繰り広げる奴を見て安堵してるんだ俺は。

 

「ふふん、やっぱり朝起きたら目の前に絶世の美少女ちゃんが自分の上に乗っかっていて欲情しちゃったのを誤魔化そうとして冷たい態度を取っていたんだね新人君!また表情が変わったから僕分かっちゃったぞ!」

「違うからな」

「違うの!?えっ違うの!?こんな美少女を見ても君は欲情しないと!?そんなに僕って魅力ない!?…いや、違う!君はツンデレというやつで思ったこととは反対のことを言ってしまうタイプだな!?なら納得だ!承知した!新人君はツンデレ!これを皆に伝えよう!イエッス!」

「…」

「こいつ死んだ目をしてやがる…ッ!」

 

なんだろう、ものすごい疲労感が。

思わずめまいがしてしまったがこんな奴と朝っぱらからエンカウントして訳の分からないマシンガントークを撃たれて平常心で居られる奴なんて絶滅危惧種並みに少ないんじゃないかと思う。

でも、どうしてだろう、そんなことに、こんなことに思わず反応してしまうのは。

先ほどまで冷めきっていたはずの心が、なぜか熱を孕んでいく。

どうしてだ、なんでだ。

少女のこともそうだが、自分の体もどうなっているのか、わからなかった。

なんだ、なんだこの、気持ちは、感情は、感覚は。

ぐるぐると、めまぐるしくなって、気が動転した。

だからだろう、俺は気づかなかったのだ。

少女が、じわじわと顔を近付かせていることに。

 

———そして、生暖かい肉の感触がした。

 

「さて、改めて挨拶をしよう」

「おはよう、灰藤君」

そういって少女は、無防備になっていた灰藤のおでこに祝福のキスを送った。

次の瞬間、正当防衛として彼は少女をぶん殴っていた。もちろん全力で。

殴られた少女はまっすぐに、まるで扉に吸い込まれていくかのように吹き飛んだ。

そのまま廊下の壁に突き当たり、少女は意識を手放した。

灰藤は、体を小さく振るわせていた。

 

そんな光景を、灰藤を迎えにきた蒼竜は見ていた。

 

***

 

そんなことがあって、俺と柳郷とかいう少女はひび割れた廊下の壁際で顔をうつぶせにしながら正座をさせられていた。

柳郷は壁に激突したことで打撲傷ができているはずだったが、その美しい体は傷一つ付いていなく、殴り飛ばされた事実を否定しているようだった。

灰藤はそのことに気づき疑問に思ったが、すぐにどうでもいいとその事実を頭から消去した。

そして彼はゆっくりとうつむいていた顔を上に上げる。

目の前で蒼竜がにっこりと笑って仁王立ちをしていたが、目は笑っていなかった。

我が身可愛さに灰藤は自分は悪くないということを伝えながら先ほどまでの出来事を説明すると、蒼竜の怒りの矛先は標的を一つに絞りその矛をまっすぐ柳郷に向けた。

そのことに気づいた柳郷はすぐさま灰藤の方をじっと睨みつけるが、蒼竜の怒りのオーラを感じたのかすぐさまに彼の方へ顔を動かした。

 

「どういうことかな柳郷ちゃん」

「いやぁすまないつい癖で…」

「癖でおでこにキスするってどういうことなのかな」

「だってほら、ねぇ…」

「言い訳できてないからね」

 

蒼竜とは出会ったばかりに等しいが、灰藤は今の彼の顔を見て悟った。

この人怒らせたら怖いタイプだ、と。

顔が般若のようになっており後ろには鬼が金棒を持ってスタンバイしているように見えた。恐ろしい幻覚だ。

しかし、それが現実に存在しているように見えるほど、彼の顔は恐ろしいものになっていた。

 

「ひ、ひぇ…。でもでも!いくら驚いたからってこんな愛らしくて美しいこの美少女柳郷ハクギちゃんに容赦なくぶん殴る灰藤君もどうかと思うぞ僕は!」

「世の中には暴力系ヒロインっていうのがあってね」

「灰藤君はヒロインだったのか…?男なのに…」

「誰がヒロインだはっ倒すぞ」

「な、そ、蒼竜さん聞いたかい!?灰藤君はまた僕に暴力を振るおうとしている!なんだなんだ!DVか!?暴力は良くないぞ灰藤君!殴るならヘルドとかネヴェンをぶん殴ってくれ!」

 

突然人のことをヒロイン呼ばわりされるとは不意打ちすぎて思わず暴言をオブラートにも包まずそのまま生身で吐き出してしまったが許容範囲だ。問題はあるが問題はない。

柳郷がなにか騒いでいるが、灰藤は徹底的にその声をシャットアウトした。

そんな様子を見ていた蒼竜が抱いていた雰囲気が変わる。

先ほどまでは怒りに満ちていたが、その怒りはどこへやら。

ほんわかとした、和やかな、まるで孫を微笑ましく見ている祖父のような顔を浮かべた。

 

「あはは、君たち出会ってすぐなのに仲良しだね」

「えへへ…照れるじゃあないか蒼竜さんやい…」

「こんな人と仲良くなった記憶は無い」

「えっ」

 

こんな奴と仲良しだなんて、勘弁して欲しいものだ。

 

***

 

「物語は血によって描かれる」

 

男は歩く。

 

「物語は血によって紡がれる」

 

男は赤く染まった地面を歩く。

 

「物語は血によって伝わってゆく」

 

男は書を持ちながら赤く染まった地面を歩く。

 

「物語は血によって新たな物語が語られてゆく」

 

男は書を持ちながら赤く染まった地面を軽やかに歩く。

 

「そうして物語は成長していく」

 

男は立ち止まる。

赤黒くなった道の真ん中、男は立ち止まる。

 

「さぁ、お前らの血で俺の物語をより鮮やかに、生々しく、醜く、美しくしてくれ」

 

男が立ち止まった後ろには、小さな子供のような姿の、形容出来ない醜悪さを纏う化物がいた。

大きく開いた口の中には大量の手足が生えており、その手は所々骨が姿を表していた。

黒いもやが掛かったようなそれは、男の周りに存在していた生命体を食らい尽くす。

その口が閉じられると同時に、大量の血飛沫が男を襲う。

だが男は避けず、その血を浴びる。

鮮やかな鮮血と醜悪な羶血が、男の髪を、顔を、背中を、腕を、足を、犯していく。

全身が赤く染まった男は、口角を不気味に上げて嗤う。

 

「さぁ、"語り"を始めようか!」

 

男が持っていた書の表紙には、「ヘンゼルとグレーテル」という文字が刻まれていた。

 

***

 

灰藤と柳郷の、衝撃的な出会いから少し時間が経った後、彼はようやく落ち着いた時間を過ごすことが出来た。

あの後、柳郷は蒼竜に首根っこを掴まれ引きずられながら長い廊下の先へと消えていった。

今日は平日であり普通なら学園で授業があるはずだが、まだ灰藤の入学手続きが済んでいないという理由で彼は一日暇を貰った。

おそらく手続きの時間どうこうではなく、気持ちを整頓させる猶予期間として彼に一日という時間を与えるためなのだろう、蒼竜は灰藤と別れる前に学園のことについて軽く説明をしてくれた。

 

「この学園には君と同じく魔道書と契約をした「適合者」が通っている。いわば、魔道書回収部隊の育成教育機関みたいなものだ。五教科といった普通科目の授業も行うが、それはおまけのようなもので殆どの授業は魔道書についてのことが多い。例えば魔道書研究、という科目があるが、これは魔道書に関わる情報や歴史、力について座学で学習していく科目だ。座学があるということはもちろん、実技もある。これが主の授業になる模擬戦闘だ。図書館に存在するメルヒェンヴェルトを元に生み出した仮想空間と呼ばれる場所で実際にヘルドやネヴェンと戦ってもらう。所詮はデータだから命を落とすことは無いが痛覚は再現されているから油断は禁物だ。まぁ、学園についてはこんなものだろう。あとは生活のことだが、この図書館にはメルヘンポイントというなんだかファンシーな名前のポイントがある。このポイントはテストでの結果や模擬戦闘での記録、実際のヘルド、ネヴェン討伐数を多く稼ぐほどポイントが貰える、いわば報酬金みたいなものだ。これを使って図書館内にある店で物を購入してくれ。君はまだ新入生だから、ポイントの数は少ないからそのことに注意してくれ。でも必要最低限のことはこちら側で手配してあるから、いい成績を残せなくて生活のことを心配しなくても大丈夫だ。一応初期ポイントとして100mpがあるから何か足りない物があったらそれで買ってくれ。とりあえずはこんな感じだ。大雑把な説明で申し訳ないが、ここはそういう制度が存在していることは知っておいてくれ。

……では灰藤慎也君。我々図書館は君を歓迎するよ」

 

蒼竜の説明を思い出しながら、灰藤は貰った端末を起動しポイント数を確認する。

100mp、と言われてもこれが多い数なのか少ない数なのか分からないが、必要最低限のものは用意されているとのことで、まぁ今すぐに使わなくていいだろうと彼は端末のボタンを長く押し電源を落とす。

 

ぼんやりと窓を見つめる。

あの時と変わらない青く澄んだ空。

母と、父と、友人と過ごした日々と何一つ変わらないあの空。

なにも、変わらない。

なにも、変わっていない。

しかし灰藤の今の現状は、あの時とは大きく違った。

目の前でおぞましい化物になった母。

自分を庇って死んだ父。

思い浮かべるのは、あの時の光景。

目の前が真っ赤に染まっていく。

きひひと不気味な笑い声が響いたあのダンスホール。

やめろ。

…そういえば、あの時。

やめろ。

少女とキスをした後、俺は。

やめてくれ。

母さんを、この手で。

—————思い出すな。

母さんに、レイピアを突き刺したあの瞬間、

 

ずきり、と頭に痛みが走る。

思い出すなと、思い出してはいけないと、本能が叫ぶ。

しかし理性は、好奇心を隠さずにそれに手を伸ばして行く。

痛みが激しくなる。

思い出すな。思い出すな。

なにもなかったんだ。

あの時は、ただなにもなかったんだ。

無我夢中になって、俺が母さんを殺したんだ。

いいや、あれは母さんじゃない。

化物だ。

あれは正真正銘の化物だ。

おぞましい姿をしたあれは、母さんじゃない。

母さんはあれに食われて死んでしまったんだ。

だから、あれは母さんじゃない。

そう、母さんじゃないんだ。

 

————残酷な王子様。

 

思考停止を促すように痛みが酷くなる。

頭を締め付けられてるような痛みが、記憶を封じ込めるように主張している。

そして灰藤の脳は、今考えていることをなかったことにした。

母も、父も、あの日常も、なかったことにした。

記憶を手放すことは難しいことのはずなのに、今の灰藤にとっては赤子の手をひねるよりも簡単に、その大切だった記憶を頭から追い出していく。

忘れていく。

忘れていく。

あの時の母の顔も、死に際の父の顔も、今までの記憶も、全て。

 

しかし、それを「彼女」は許さなかった。

 

—————————それは、お兄ちゃんの大切な宝物じゃないの?

 

くすくすと、幼い子供の声が響く。

あの少女のものなのだろうか。

だが、少女の声と先ほどの声は全くの別物であった。

小さな鈴のように華麗な音色ではく、ビブラフォンの低音を鳴らしているかのような音色。

どこか残酷さを漂わせる声でも、おぞましさを感じる声でもない。

まるで、幼少期の自分の声を聞いてるかのようだった。

しかし、そんなはずはない。

じゃあ、誰の。

思考を巡らす。

記憶を取り戻す。

先ほどまで手放したはずの記憶が、頭に戻ってくる。

 

—————それは絶対に手放すな。手放すことは許さない。逃げることも許さない。お前はその罪を一生背負い続けて、苦しまなければならない。だってそれは、お前がこれから必要になる「感情」の原材料になるのだから。それに、

 

苦痛に歪む君の顔は、「彼女」の大好物だから。

 

ぶつん、と糸が切れる。

世界を認識する。

灰藤の目の前にあるものは、あの空。

なにも代わり映えのしない、あの空。

先ほどの違和感が、体を蝕んで行く。

なんだったのだろう。

あれは、一体。

灰藤は思考を巡らし、精神を統一させていく。

 

…と、突然窓のすぐ近くの枝に白い丸い何かが存在していることに気づく。

それが気になった灰藤はそっと窓に近付いてその正体を確認すべく窓を開け、白い何かを見つめる。

 

その白い丸い何かの正体は、小鳥だった。

 

「…小鳥?」

 

ほんのわずかに感じる体温が、その生物が生きていることを示していた。

しかし、どこか弱々しい。

よく見ると、足のところを怪我しているようだった。

 

「怪我をしたのか、お前」

 

そうだ、と答えるように小鳥が小さく鳴く。

ぴぃ、ぴぃと残りの僅かの命を使っているようなか弱さで、このままでは死んでしまうことを示唆していた。

灰藤はすこし迷った後、その小鳥の治療をするために部屋の奥へ連れて行く。

ふかふかのベットの上に座り込むと、端末を片手に小鳥の怪我の処置を始めた。

 

***

 

「どうすればいいんだ…?」

 

灰藤は悩んでいた。

小鳥の怪我の処置をすることは初めてのことである。

しかも、生まれてこのかた怪我の処置をしたことがほぼ皆無である。

とりあえず消毒液とか使っていいのか?

とりあえずテッシュで包んでおけばいいのか?

端末で調べながらやろうとしたが、画面が真っ暗になったままで反応が帰ってこない。

まさか、故障…?

いや先ほどまでポイント表示されていたじゃないか。

返事をしろ、この野郎。

無機物に怒りを感じても仕方のないことなのだが、灰藤は端末に対してふつふつと、怒りを溜めて行く。

 

「自然治癒でなんとか…」

 

いや、そんな力はもうこの小鳥には残っていないだろう。

しかし、なぜこんなところに小鳥がいるのだろうか。

しかもこんなに白い。

ペットショップとかにいたら確実に高値で取引されるんだろうな、とどこか場違いな事を考えながらも、灰藤は目の前で消えかかっている命に対して憐れみを感じていた。

 

ここで、こいつは死んでしまうのか。

 

己の無力さを、再び感じた。

どうして、自分は何もできないのだろうか。

どうして、自分一人では何もできないのだろうか。

自己嫌悪に陥った灰藤は、ただどうしようもない、大きな力を感じていた。

 

「…すまな」

「はろ—————————————————っえぶりわん!!!!朝は申し訳ないことをしたね新人君!僕ちゃんと反省してきたからお詫びの言葉を掛けにきたよ新人君!!!でもあの時君が僕をぶん殴ったことは許してないしあれは僕が悪かったとは全く!これっぽっちも!一ミリも感じてないからね!というわけなのでこの超絶美少女柳郷ちゃんが!直々に!謝りに来たから!君は!僕に!壮絶なる謝罪の言葉を1000文字書いて僕に提出してくれたまえよ!僕のこの美しい顔を傷つけた代償は大きい!そう!大きいのだよ新人君!まぁこの体のせいで傷一つ残ってないけど僕の心にはふか—————い、そうとてもふか————————————い傷が!出来ているんだ!これはそんのそこらの医薬品じゃ効果がない!そう!君の謝罪の言葉だけが効くんだ!というわけでプリーズ。プリーズだよ。謝罪の言葉をこの世界にただ一人だけの美少女、柳郷ハクギにプレゼントフォー・ユーしてくれカモ—————————————ン!!!!!!!!!!!!!!プリ——————————————————ッズ!!!!!!さぁ!!!」

 

なんで今きた、こいつ。

先ほどまで感じていたものはなんだったのか、彼女の声を聞いただけで灰藤の体を支配していたもの全てが吹き飛んでいく。

柳郷はそんな灰藤を見て首をひねる。

むむむ?と灰藤をじろじろと見つめているその仕草は、先ほどまで抱いていたうざさが何処かに消え、素直に愛らしいと感じさせるものだった。

彼女の頭に飾られているリボンが揺れる。

赤いリボンは、彼女の金髪によく似合っていたし、ほのかに甘い香りがした。

嫌いじゃない。

いや、そうじゃない。そこじゃない。

…どうして俺、こいつの声を聞くと安堵してしまうのだろうか。

今日、彼女に初めて会ったはずなのに。

 

「おやおやおや?新人君の手にいるのはもしかしなくとも死にかけてる小鳥さんかな?もしかして新人君はその小鳥を助けたくて部屋に連れ込んだはいいけど怪我の処置とかどうすればいいんだ助けてママー!状態に陥っていたのかな?」

「…。」

 

ほぼ正解なのがムカつく。

 

「しかし僕が来てよかったな新人君!この小鳥の治し方をこの僕!柳郷ハクギは知っているよ!」

「そうか、帰れ」

「うんうん、その反応からしてみるに僕に教えを請うているん—————て、へ?」

「帰れ」

「まじ?」

「大真面目だ」

「なんで?」

「鬱陶しいから」

「え、えぇ」

「いいから帰れ」

「ちょ、灰藤君、小鳥の怪我の治し方、知りたくないの?」

「今から蒼竜さんのところに行って聞く。お前に聞くよりはマシだ」

「君蒼竜さんの居場所知ってるの?知らないでしょ?」

「端末に蒼竜さんの連絡番号が入ってる」

「あ」

「というわけでお前には用がない帰れ」

「ま、待ってよ!今すぐに小鳥を治療しないと大変なんだろう!?だったら僕が力になるから少しは僕の話を聞いてよ!」

「…。」

「沈黙は了解したと受け取るよ!?とりあえずこの方法応急処置だからあんまり他の人にやっちゃ駄目だからね!」

 

そういって柳郷は身に纏っていたスカートから小さなナイフを取り出す。

そしてそのナイフを柳郷の腕に這わせる。

ナイフの軌道に従って、柳郷の皮膚が切れ、その下で流れていた血液が溢れ出す。

 

「お前、なにやって———」

「応急処置、っていっただろ?どうやら見るかぎりこの小鳥の寿命はもうない。足の怪我を治したところでこの小鳥が助かるわけでもない。だったら怪我の処置をせずに少しでも残りの時間でこの小鳥に幸福な時間を与えるのが一番いいかもしれない。まぁ、つまりはこのナイフで痛みを与えずに殺してしまうのがいいかもしれないね」

「そんなこと」

「しないよ。まだこの小鳥は生きなきゃいけない。体を構成する細胞が分裂しなくなるまで、それが死ぬまで、命をこの世界に刻んでいくことが、僕らの義務だ。それに、僕の目の前で死ぬことは絶対に許さない。もちろん君もだよ、灰藤慎也」

 

先ほどまでの雰囲気とは一変した柳郷が、真剣なまなざしで灰藤を射抜く。

ルビーのようなその瞳に見入られた灰藤は、まるで魔法にかかったかのように動けなくなる。

少し視線を交わらせた後、柳郷はまっすぐに小鳥の足を見つめそこに己の血液を流し込む。

すると、その血液がまるで生きた軟体生物のように、うねりはじめる。

 

「…!?」

 

突然の光景。

柳郷の血液が流れ込んだ小鳥の足が、みるみるうちに回復していく。

そして弱々しくなっていた小鳥の瞳に、強い光が宿る。

それはまるで、神の所業だった。

 

「…これでいいかな」

 

そういった柳郷の腕を見ると、先ほどまであった傷が消えていた。

血液が溢れ出たはずの場所は、もうどこにもなかった。

 

「どういうことだ…?」

「…あぁ、そういえばまだちゃんと紹介してなかったね。これが僕の『副作用』。まぁ、ざっくり言ってしまうと不死身ってことだよ、僕。傷だってすぐに治っちゃうし、致命傷を受けたってすぐに再生する。僕の魔道書の主人公、「白雪姫」が毒入りのアレを食べて死んだのに、生き返ったっていうのが影響してるんだろうね」

「副作用?」

「魔道書を使用すると体に影響がでるんだよ。魔道書の力は強大で、人智を超えたもの。だからどうしても体に副作用ができちゃうんだよ。魔道書に関係した副作用が、ね。ここにいる適合者、皆そうだよ?」

「適合者ってことは、つまり」

「そう、君にもそのうち現れるよ。魔道書の『副作用』」

「その副作用で、お前の傷が消えたってことか…」

「そう。僕の場合は不死身だから、副作用っていうよりも能力っていった方がいいかもしれないね」

 

どこか寂しげに笑う柳郷に、灰藤は思わず黙り込む。

副作用、か。

彼女の魔道書の副作用は「不死身」といった。その理由は推測だが魔道書の物語にある。

つまり、俺にも現れるのか。

この物語、「シンデレラ」の物語に影響されて生まれる、副作用。

 

「でまぁ、僕の力が宿ってる血をこの小鳥に与えたことで、この小鳥は新しい生命力を手に入れて再生したんだ。だから怪我が治って、ついでに死にかけてたのがなんとかなった、みたいな?」

 

先ほどまでの真剣な眼差しが消え、最初と出会った時と同じ様に明るくどこかふざけた口調に戻った。

あまりこの話題は好きではないのだろう、彼女が意図的にこの会話をこれ以上続けないように話を変えた。

灰藤はこのことに少なからずも気づいたが、興味が少なかったために気にも留めなかった。

 

「それは、お前の血だからできることか」

「ぶっちゃけると、副作用が出てる適合者の血だったらオールオッケーだったりするんだよねぇ。だから、戦場で怪我した場合は相手の血を貰うといいよ。僕の血みたいにみるみるうちに回復…とまではいかないけどある程度は回復するから。理由はよく分かんないけどね!」

「つまり、副作用が現れたら俺の血も使えるのか」

「そうそう、でもさっきもいったよ。この方法はおすすめしないって。場合によっては、相手を蘇生させるために自分が死ぬことだってある。…こんなことするの、馬鹿だけだよ」

 

すっと、柳郷の目が据わる。深紅の瞳は再び灰藤を己が眼球に閉じ込める。

彼女はどこか違うところを見ているかのような目で灰藤を見ていた。

息を飲み込んだ灰藤は、なにも言葉を発さず、ただ柳郷一人を見つめていた。

その深紅の世界に吸い込まれていくかのように。

 

「…それじゃあ、小鳥も元気になったことだし、気を取り直してもう一度大切な事をいうぞ!」

 

と、空気が変わる。

先ほどまで感じていた圧迫感は、柳郷の声で一気に消え去る。

 

「さぁ新人君!僕に跪いて感謝と許しを請うといい!」

 

本日二回目の灰藤の怒りの鉄槌が柳郷を襲った。

 

***

 

 まだお昼前だというのにこの疲労感。

なぜだろうか、全身が何かに取り憑かれているかのように重く、苦しい。

もちろん理由は分かっている。

柳郷 ハクギ。

今日初めて出会ったはずの女なのに、朝っぱらから怒濤のマシンガントークをし、あげくのはてには俺のでこにキスしやがった。そしてその後色々あって、視界から消えたはずなのに再び舞い戻ってきた。そして現在に至る。

なんでこいつはこんなにもテンションが高いんだ。

疲れる。

はっきりいって疲れる。

正直、これ以上関わらないで欲しいと思う。

だが、心のどこかではこいつと居て楽しいと思う自分がいる。

…なんで、楽しいと感じてしまうんだ。

俺は、少し前まで、あそこで。

メルヒェンヴェルトと呼ばれる、あの世界で。

大切な両親を亡くしてしまったのに、どうして自分は、笑えるのだろうか。

どうして、感情は未だに生きているのか。

目の前でのびている柳郷を片目に、灰藤は目の前にいた白い小鳥に触れた。

先ほどまで散りそうだった儚い命が、確かにそこに存在していた。

だが今は、力強い鼓動と熱が、自身の手に伝わってくる。

 

「…生きてるんだよな」

 

お前も、俺も。

なるべく力を込めないよう、細心の注意をしながら小鳥を撫でる。

ぴぃ、と可愛らしい声で小鳥が鳴いた気がした。

 

***

 

 時刻は正午。お昼の時間。

図書館に昼食を知らせる鐘の音が響く。

お昼のご飯はランチスペースで食べるのが義務づけられているらしく、灰藤は端末にある地図を見ながら目的地まで進む。ちなみに、小鳥は部屋に置いてきた。

端末は故障しているだけかと思っていたが、どうやら電源ボタンを間違えていたらしく、ずっと音量調整をするためのボタンを押していたようだった。

まさか自分がここまで機械音痴だったとは、と少し失望しかけたが、今こうやって無事に端末を操作できているので良しとしよう。

灰藤は一旦思考を止め、周りの風景を視界に入れた。

図書館の内部は落ち着いたクラシック調にまとまっており、床の赤黒いカーペットがどこか高級感を現しているようだった。内装も、白を基調としており、床の赤をより強調しているデザインになっている。明かりはシャンデリアのように豪華なもので、一体いくらの金が使われているのだろうかと灰藤は考える。

そうしているうちに、目的地であるランチスペースに到着した。

白い光を反射して、その黒い大きな扉が存在感を主張する。

 

「…図書館って、豪華な建物なんだな」

 

豪華な佇まい、それが灰藤の抱くこの図書館のイメージだった。

ゆっくりと扉を開けると、廊下よりも明るい光が灰藤の視覚を刺激する。

思わず目を細める。

そして差し込む光と共に、少年少女らの楽しげな談笑の声と、香しい料理の香りが聴覚と嗅覚を刺激した。

 

「…おぉ」

 

思わず声が漏れる。

どこかの高級料亭のようなその世界。

ぼんやりと立ちすくむ灰藤に、小さな影がぶつかった。

 

「んにゃ!」

「…!」

 

何かと思い後ろを振り向けば、そこには銀の髪を大きなリボンで二つに束ねた少女がいた。

呆然とその少女を見ていた灰藤に、その少女はマゼンダ色の瞳から大きな雫を溢れんばかりに溜め、それを零さないように我慢しているようだったが、それはすぐに弾けた。

 

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!おにいちゃぁん!!!!!!」

「!?」

 

突如として泣き声が響くランチルームの入り口に、そこで談笑を続けていた少年少女らは何事かとそちらを見た。

好奇の目に晒されている気持ち悪さに、灰藤はその場から逃げ出したくなるが、目の前で大泣きしている少女に服を掴まれており、動けない。

 

「おい、お前…」

 

と、少女をなだめるほうに専念しようとした瞬間。

 

「アンタ、何俺の妹泣かせてんの?」

 

ツインテールの少女と同じぐらいの小柄なサイズの少年が灰藤に声を掛けた。

少女と同じ銀髪の彼は、少女と瓜二つの外見だった。

妹、ということからおそらく兄弟、もしくは双子なのだろうと灰藤は瞬時に判断した。

 

「うっ…おにいちゃん…あのね…この人がね…」

「もう大丈夫だぞ、ルト」

 

美しい兄弟愛だ、なんて他人事のように思った灰藤だったが、兄と思われる人物がこちらに向ける殺意に、思わず固まる。

 

「……ねぇ、お兄さん、アンタ一体誰?知らない顔なんだけど」

「…俺は、灰藤。灰藤慎也だ」

「はい…ふじ?……もしかして、アンタがあの灰藤慎也?」

 

と、先ほどまで泣いて兄に縋っていた少女が涙を止めて凛とした顔でこちらを見ていた。

 

「…そうだけど、なんだ」

「…………ルト、アンタ嫌い!」

「は?」

 

思わず真顔で答えてしまった。条件反射というものか。

するとその顔を怖いと思ってしまったのか、再び少女の顔が歪み、その瞳からは大量の涙が溢れ出た。

 

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!!!!!」

「大丈夫だよ、ルト、泣かないで」

 

ランチスペースに少女の泣き声が響き、先ほどまでの視線がさらに強くなった。

なんなんだ。一体俺が何をしたというんだ。

今起きている現実を受け入れられず、灰藤は混乱する。

…と、突然頭の中に声が響いた。

 

『王子様ってば、可哀想』

 

一体なにが、どうしてこうなった。

泣き叫ぶ少女の声を聞きながら、灰藤は呆然と、ただランチスペースの扉の近くで立ち尽くしていることしかできなかった。

 

 

 

続く

第二話 「巡り会わせた少年少女達」前編

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