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第一話 「出会い」
Liebeslied
目の前には、ただ白という色しかなかった。
先ほどまで、私の視界を支配していたのは、ただの黒、漆黒の闇だったのに。どうして私はここにいるんだろうか。
ここはどこだろうと、周りを見渡していると、手に誰かの熱を感じた。
自分の手を見つめるとそこには、一粒の涙を流して眠っている彼がいた。
憎しみと怒り、悲しみで純白の翼は漆黒に染まってしまった彼、堕天使と言われ、寂しくて冷たい、あの部屋に閉じ込められていた彼。
私は彼を、救えたのだろうか。
あの時の彼の顔を見ることが出来なかったので、私のあの行動に、どう思ったのかなんて分からなかったけど。少しは、彼に光を与えることが出来たかな。
目を閉じてあのときのことを思い出す。あぁ、なんだかついさっきの出来事だと思えないなぁ。
そんなことを思いながら私は、目の前で寝息を立てている可愛い彼の髪を撫でる。こうして見ると、ただの子供みたいだなぁなんて思ってしまう。
ふふふとつい笑い声を立ててしまった。
「微笑ましいねぇ」
突然前から声が聞こえた。声がする方に顔をあげてみると、そこには一風変わった雰囲気をもつ人物が立っていた。
白髪と赤と青のオッドアイ、前髪の一部は、青色だった。頭の上から生えているあほ毛が揺れる。
彼は、ただこちらを見て笑っていた。
おかしい、さっきまで、誰もいなかったのに。
「はじめまして、俺は君の神様さ。ぜひ崇めてくれてもいいんだよ?」
「…私はゼウト様以外を崇めるつもりはないので」
「あっは〜、なんでこうもこの世界で生まれた天使はゼウトの犬ばっかりなんだろうね」
これだからこの世界の天使は面白くないんだよ、そう言った彼はわざとらしく大きなため息をついた。
彼が赤いソファーに座る。あれ、さっきまでなにもなかったはずなのに。この人はどこからソファーなんて出したのだろうか。
疑問はいくつかあったが、とりあえず一番聞きたいことを聞こう。
「あの、何者なんですか」
そういった私の問いかけに、彼はにっこりと口角をあげてこういった。
「さっきもいっただろう?俺は君の、神様さ。さてと、あまり長話はしたくないからね、手短にいこうか」
一体彼は、何を言っているのだろうか。いまいち状況を理解出来なかった私にさらに追い討ちをかけるように、彼の言葉と共に視界が歪む。
その世界には、白しかなかったが、彼の足下から段々と、黒い、ただ黒い闇が、じわじわと世界を蝕んでいった。
なにが起きているのか、全くもって分からなかった。
「自由の翼をもつ君よ、汝の願いを言ってごらん。私が一つ、奇跡を起こし、君の願いを一つ願いを叶えよう。その願いは、どんな願いだっていい。永遠の命も、富も、どんなものでも構わない。君の願いを一つ、私が叶えよう。
さぁ、君の願いは何だ?」
そこからの、記憶はない。
ただ、視界が黒に染まって、先ほどまで感じていた彼の温もりが消えていたことは、はっきりと分かった。
ーーーー
その日は、特別な日だった。
朝から両親が大騒ぎ、一体なんなんだと思いながらもリビングに向かうと、そこには沢山の薔薇を持って母の前に跪く父親。そんな父親を見て口に手をあて涙ぐむ母。なんだ、今日は一体何の日なんだ。なにがあってそんな状況が出来上がったんだ。そう思った私が日にちを確認するためにカレンダーを見ると、そこには赤いペンで今日の日付に丸が書かれており、大きな字で”結婚記念日”と書いてあった。なんと、今日は両親が結婚した日だったのか。だからといって父親が花束を持って跪くあの光景は、どうも異様に感じる。毎年結婚記念日はあんなことをしているのかあの父は。いやでも去年はそんなことしてなかった、ただ母にむけて熱い抱擁とキスをしていただけだぞ。そんなことを思いながらも、物陰からじっと両親を観察していた。
「覚えているかい?20年前のこの日のことを。俺が、君にこうやってプロポーズをしたことを」
「もちろん、覚えているわ。貴方、顔を真っ赤にしちゃって、プロポーズの時に噛んじゃってたわよね。『俺とけっきょんしてくだしゃい』って!」
「その後の君も、薔薇のように赤く染まって『も、もちろんでしゅ!』っていったよな」
「お互いに、笑いあったわよね。うふふ」
顔を見合って話していた両親の顔は先ほどよりも赤みを帯びていて、どこかおぼつかない瞳やそわそわと身体を動かしており、お互いに照れていた。
なんだこの両親、と顔を赤らめて私はそんな様子を見ていた。
両親は近所では有名なおしどり夫婦であり、「今日もラブラブだねぇ」と近所のおばあちゃんに言われたのは良い思い出。
「あの時はカッコよく決められなかったからな!もう一度、プロポーズをさせてくれ」
「あらあら、また貴方からプロポーズされるなんて、嬉しいわ」
「…この花を君に贈ろう、花言葉は、貴方を愛してます。今も、これからの未来も、俺は君のことを愛している。ずっと俺の側にいてくれ。」
「…もちろん」
そういって母は父のもっていた薔薇の花束を受け取った。その時の母の笑顔はとても美しいものだった。涙を流す母の涙を拭おうと父がハンカチを渡そうとしたところ、母がその花束から一輪の薔薇をとって父に渡した。その時の父の顔はひどむ間抜けな顔をしていたが、次の瞬間泣き崩れた。
「…私も貴方のことを、ずっとずっと、愛しているわ」
そう涙を流しながら微笑む母を見て、私はこっそりと部屋に戻った。
ーーーー
そんな朝の出来事を見て、私は20周年の迎えた両親の結婚を祝うために、なにかプレゼントしようと思ったけれど、なにをあげればいいのか分からなくなってしまった。プレゼントするにしてもなにをプレゼントすればいいのか、うむむと頭を抱えていた私は、ある人物に助けを求めることにした。その人物とは私の幼い頃からの友人であり、幼馴染みである女の子だ。その子はとても頼りになる子で、よく相談相手になってもらっていた。まぁ、今もなんですがね。
すこし涙目になりながらも、超特急で幼馴染みの家へ向かった。
インターホンを連打する迷惑行為に顔一つ歪ませず、彼女は「相変わらずだなぁ」と笑って出迎えてくれた。
先ほどの朝の出来事を彼女に話すと、彼女は「あああ…なんだよアンタの両親可愛すぎかァァ…」と頭を抱えた。なぜビデオを撮らなかったと真顔で言われたが、そんな暇はなかったと言っておいた。
「アンタのことだ、プレゼントをあげるにしても何あげればいいのか分からなくなってきたんでしょ」
そうです。まったくその通りです。助けてください。
と彼女の目の前で手を合わせて頭を下げる。頼めるのは君しかいないんだ、どうかアドバイスをください!という私に、おいおいやめてよそういうのは!と言って慌てていた。ほら顔をあげて、と私の頬に触れた。と、次の瞬間力強く、強引に顔を上げさせられた。痛い。
私がちゃんと顔をあげたのを確認すると、彼女は手を離した。
「アンタの両親だったら祝いの言葉で十分なんじゃないの?」
「そういうわけにはいかないよ。だって結婚20周年だよ、20周年。これってすごいことだと思うんだけど」
毎日イチャコラしてる両親を見て、すぐ別れるカップルの特徴やらを思い出したときは、この人達いつ離婚するんだろうと不謹慎なことを考えていた幼い私だったが、未だ離婚する気配はない。むしろ年が経つにつれて愛が深まっている気がする。そして今日で20周年。両親は20年以上もイチャコラしていたのかと考えるとすごいことだと思ってしまう。
幼馴染みはそんな私を見て「確かにな…」と同意してくれた。
「プレゼントねぇ、よくあるのは花とかじゃない?」
「赤い薔薇の花束とか?でも花は朝父親が渡してたんだよなぁ」
「この花を君に贈ろう、花言葉は、貴方を愛してます。これからも、この先も、俺は君のことを愛しているよ…っていって渡したの?」
「なぜ分かった」
「その様子アタシも見たかったなぁ…あぁ〜想像するだけでも心がぴょんぴょんするんじゃ〜」
悔しい、といいたげな顔をしてそういった幼馴染みの発言に、やっぱりこの子変わってるなと確信した。
心がぴょんぴょんするんじゃ、ってどうしたいきなり。そんなことを思いながらもとりあえず花はやめておこうかな、と言った。
「そうだ、歌をプレゼントするっていうのはどう?」
花以外だったらおそろいのアクセサリーとか?でも高いからこいつには無理か。そんなことをぶつぶつと言っていた幼馴染みが突然にナイス名案!といいたげな明るい笑顔でこういった。
失礼なことを言われた気がするがここは無視しておこう。
「歌をプレゼントする…、その案貰っていいですか!」
「持ってけ泥棒!そうだ、歌うんだったらアタシにも歌ってくれない?アタシ、アンタの歌好きなんだよね」
よろしく、といってウインクした後「プレゼントは歌ってことで決定か、あ、ちょっと待ってて!こういう時にぴったりな歌の楽譜持ってるからそれあげるよ!」と言って家の中へ去っていった。
嵐が過ぎ去ったようだと思ってしまうぐらいには彼女の勢いはすごかった。
というか、私の歌が好きってどういうことだ。冗談でもなんでもなく、真面目な顔してそういわれるとは。惚れるぞ、馬鹿。
お待たせーといって楽譜を渡してくれた幼馴染みの顔を見ることが出来なかった。
ーーーー
幼馴染みと別れ、貰った楽譜を見てみると、その歌はどんなに時が経っても、ずっとずっと愛しているといった感じ内容の歌で、両親にぴったりな歌だった。よく知ってたなぁこの歌、ありがとうね!と心の中で幼馴染みに感謝の言葉を送った。一度歌ってみるかと思ったが家で歌うとバレるし、いつもの場所で練習しよう。そう思ってからの私の行動はあの幼馴染みに負けないぐらいはやかった。
いつもの場所というのは、ある日見つけた公園のことだ。
私の好きな歌を口ずさみながらその公園へと足を向けた。
公園は、静寂の時が流れていた。いつも座るあの白いベンチに向かって歩きながら、ふと花畑を見る。一つ一つの花が美しく咲き誇っているのを見ると、誰かが手入れをしているのかなといつも思う。
そんな花畑を横目に歩いていると、いつもの白いベンチが見えてきた。白いペンチはところどころ塗装が剥げていたり、汚れていたりしていた。私はそのベンチから見える小さな噴水とその奥にある花畑を眺めるのが好きだった。目の前に手で四角を作り上げ、四角の中に出来上がった美しい光景を見つめる。白いベンチから見えるこの光景を、目に焼き付けるかのようにただただ見つめていた。
さて、そろそろ練習しないとな。
そう思いながら、四角を崩して楽譜を手にとる。私は、人がいないかを何度も確認して、ふぅと息を吐いた。一度深呼吸をして、歌詞を見る。誰もいないし、いつものように大声で歌っても大丈夫だよね!
うんうん、と一人大きくうなずいた。
どこかで、ガサッと物音がした気がするがそれは気のせいだろう。
ーーーー
「こんな感じかな」
ふぅ、と汗を拭いながら楽譜を眺めていると、なんだか後ろから視線を感じた。
いやいや、気のせい気のせい。そう思ったものの、気になる。すごい気になってしまう。気のせいならいいけどもし人がいたらどうしよう。
そういえば、歌う前に物音がした気がする。あれってもしかして人がいたってことではないか、そうだとしたら、ずっと聞かれていたのでは。ああああ恥ずかしい!!と頭を抱えた。
とりあえず、振り向こう。振り向いてあっなんだ猫かーってなる可能性だってある。犬の場合もあるかもしれない、いやいやそういう話ではないぞ。
あああどうしようと思いながらも、気になってしまうためええい腹をくくれ私!と思いそっと後ろを振り返ると、そこには、
すごいイケメンが立っていた。
黒檀の髪は無造作になっており、後ろ髪は首もとまで伸びていた。瞳は深紅の輝きを放つ宝石のようで、とても綺麗だった。左耳には飾りを付けており、赤色のその飾りは黒い髪に映えていた。彼の首には有刺鉄線のような柄が刻まれており、赤いマフラーをしていた。彼の着ている服やマフラーを見たところ、なんだかいいところのお坊ちゃんのように見える。別世界にいるかと思うほど美しい外見を持っているため見ているだけでも吸い込まれそうだった。
まじかよ。こんなイケメン、近所にいたか?
というか人がいないか確認したとき、いなかったよね。いたら絶対気づくだろ。こんな容姿の男性なんてみたことないよ。幼馴染みとか絶対食いつきそうだなあの子イケメン好きだし。イケメンがいるぞものども出会えーッてなってたしな前…というかそんなこと考えている暇あるのかとりあえず謝ろういるとは思わなかったんです失礼しましたといって早々に去ろう。恥ずかしい…歌聞かれてたとか恥ずかしい…死ねる…穴があったら掘りたい…じゃなくて入りたい…。あっどうしよう相手の人こっちすごい見てる!!あっごめんなさい!!もしかしたらそこ俺の席なんだよどけやってことですかあのすみません退きます!
「あ、あのっ…まさか人がいるとは思わなくて…!すぐ退きますね!すみません!失礼しました!」
私は急いでそこから立ち去ろうとすると、イケメンは「あ、ちょっと待って」といってこちらに近付いてくる。イケメンがそっと手を出してきたのでこれは殴られるのかと思い目をきゅっと閉じる。
目を閉じたが、何も起きない。
まさかこれは油断した隙に殴られるパターンなのではと思っていると、パチパチと、手を叩く音がした。
「え?」
間抜けな声を出して目を開くと、イケメンは私の目の前で拍手をしていた。黒い手袋をしている人を初めて見たかもしれない。
「君、歌すごい上手だね」
笑みを浮かべてイケメンは言った。なんと、イケメンから褒め言葉をいただけるとは。今日はついてるのかないやついていない。人様に歌を聞かれるとは、しかも、イケメン。これはあれか、イケメンがかわいそうに思って同情心から褒め言葉をくれたというやつか。わぁぁ恥ずかしい埋まりたい!
「あ、ありがとうございます…」
とはいえ褒め言葉をいただけたので、感謝の言葉を述べようと自分の中での笑顔を作った。その時、イケメンがすこし固まった気がした。まさかあれか、酷過ぎてうわなんだこいつって思ったのでは。なんと、イケメンの目を汚してしまったのか。
やってしまった。すみませんイケメンさん、これ、自分の中では最高の笑顔のつもりです。
「…君もしかして、エスペランサ音楽院の学生さん?」
イケメンが笑顔で聞いてきた。なんて良い笑顔だ。私とは大違いですね。これが正しい笑顔だよ馬鹿っていうことですね。ありがとうございます。
そんなことを思いながらも、エスペランサ音楽院という言葉を聞いて顔が暗くなる。
エスペランサ音楽院、それは世界でも有名な音楽学校。
卒業生はあの有名な歌姫、ノーチェさんだったり、ヴァイオリニストの徹さんだったりと著名人が多数通っていたという超名門校だったりする。学校の設備は国内最大級のもので、様々な種類の楽器があったりと、とにかくすごい学校らしい。入学出来るのは選ばれた人間だけ。倍率も他のところとは桁違いらしい。
その学校に通いたい、かつての私はそう思っていた。
ーーーー
私は小さい頃から歌うことが好きで、「しょうらいはかしゅになる!」とよく宣言していた。
おもちゃのマイクを持ってきて、幼稚園で毎日歌っていたのは苦い思い出だ。その様子がばっちりカメラに収まっていて、卒園アルバムに載っていたのを見ると恥ずかしさがこみ上げてくる。
小学生になるときに、あの公園と出会った。
学校からの帰り道、ふと寄り道したら家の近くに公園を見つけたのだ。人の気配がしないその公園を、最初は怖いと感じたが、探索してみるとこの静けさこそがこの公園の魅力のような気がした。
探索に疲れて座ったのが、あの白いベンチだ。ベンチに座って前をみると、素敵な光景が目の前に広がった。私はそこからみる風景が大好きになった。その光景を幼い私は時間の流れを忘れて、ただただ見つめていた。
それからこの公園は、私にとって秘密の場所になっていた。歌を歌ったり、探索したり、学校の帰り道には必ずこの公園に通っていた。公園で歌を歌っていたのを幼馴染みにバレたときは恥ずかしさに噴水に飛び込もうとしたが必死に幼馴染みが止めてくれて、その後「もう一回歌って」と言われたときはとても嬉しかった。
中学生になってもその夢は変わらず、進路希望には歌手と堂々と書いていた。
そんな私を応援してくれていたのが、音楽の先生だった。その先生は、アコーディオンをよく演奏していて、皆からアコーディオン先生と呼ばれていた。顔は怖いが、中身はとても良い先生で、生徒からの人気も高かった。先生に歌手になるためにはどうしたらいいかと授業後に私はよく聞いていた。先生はそんな私にイヤな顔もせず、毎回私の相談に乗ってくれた。私があの学院を知ったのは、先生が転勤で違う学校に行くという時だった。
「お前は歌手になりたいといっていたな。お前の歌はとても素晴らしいものだ。でも、今のままでは駄目だ。本気で歌手になりたいと思っているようだったら、エスペランサ音楽院という学校にいくといい。そこは音楽の名門と呼ばれているし、他の学校と比べて設備が段違いに整っている。そこで腕を磨けば、きっとお前はいい歌手になるだろう。俺は、お前を応援しているよ」
先生は、私にその言葉を残してさってしまった。
エスペランサ音楽院、そこに行けば、私は歌手になることができるのだろうか。その後、私はエスペランサ音楽院について調べた。さすがは名門といったところか、HPには著名人の名前があったり、校長があの有名なパイプオルガン奏者グレガディアさんだったりと色々とすごいことが書いてあった。
こんな学校あったのか、と思いながらも一番重要で大切な情報である入学費・授業料を見てみた。
0の数がすごかった。
見たこともないような金額がそこにはあった。宝石店でも見ないぞこんな金額。嘘だろ、高すぎるだろ、と思ったが、先生が著名人だったり学院の設備もすごかったりと色々とお金が掛かっているため仕方のないことだうんうんと自分を納得させた。
こんな馬鹿みたいな金額なのに倍率がすごい高いとか世の中どうなってるんだ。
入学費や授業料をみて打ちのめされている私に、母はいった。
「お金なんて気にしなくいいの。貴方は、貴方の夢を追いかけなさい」
母の優しさに、私は涙を流した。
頭を撫でるその手つきはとても優しいもので、私がいつも落ち込んでいるときは、母が毎回してくれた。いつもいつも、お母さんには助けられてばっかりだなぁ。
そう思いながら、溢れ出る涙ぬぐう。
「あ"りがどう、おがあざん」
声が震えてしまって上手く喋れなかった。馬鹿だな私、ちゃんと言わなきゃ、と思いながら自分自身に喝を入れた。そんな様子の私を見て母は驚いた様子を見せたが、そのあと「どういたしまして、あと、顔がトマトのように真っ赤になってるわよ。あの人にそっくり」といって抱きしめてくれた。
それからの私は必死だった。両親に頼ってばかりでは駄目だ。入学費を稼ぐために、中学卒業後は必死に働いた。そんな私をみた幼馴染みは、あまり頑張りすぎるなよといって励ましてくれた。彼女は高校入学し、私と同じく頑張っているらしい。君も頑張りすぎるなよ!といってお互いに切磋琢磨していた。
入学するために頑張って働いていた私だったが、ある日働きすぎて倒れてしまった。
なんてことはないと思っていたが、入院が必要ですと言われたときはさすがに驚いた。母からはもう十分働いた、よく頑張ったね、あとはお母さん達が頑張るから、と説得されお世話になったバイトをやめた。バイト先では、お疲れ様、頑張ったねといろんな方から言葉をもらったが、自己管理もできないのかよと言われたのは辛かった。でも、そんなことよりも、そんな言葉よりも、
こんなに働いても、入学費すら払えない。この事実がなにより辛かった。
学園にいくのは無理なのではないか。
そんなことしか考えられなくて、その日はずっと泣いていた。
翌日顔が酷いことになったが、そんなことはどうでもよくなった。
なにもあの名門校にいかなくても良いのではないか。
そう思ったことが何度もあったし、幼馴染みからも言われた。
どんなに辛くても、行きたかったのだ。あの学院に。
でも、もう無理かも。
先生、私はあの学院ではなくて、別の学校で腕を磨きます。
私には、遠い世界だったのです。
そう思い、別の学校にいくことにしたと両親に告げたのは、つい最近のことだった。
その日は、酷く雨が降っていた。
ーーーー
「違いますよ、私は、その学校の生徒じゃないです」
私はちゃんと笑えていただろうか。
その言葉を聞いて、彼は目を見開いた。深紅の瞳が私を見つめていた。
「…もしかして、学校にいけなかったとか?」
「そうです、ね。行きたかったんですけどなんせお金がなくて…」
「…ねぇ、少し聞いても良い?」
「あ、はいどうぞ」
イケメンはそういって顔を近付かせる。
近い。近いです。パーソナルスペース狭くないですか。
そんなことを考えていた私だが、彼の次の言葉でそんなこと、どうでもよくなってしまった。
「もし、タダで入学できるとしたら、どうする?」
彼はにこやかにそういった。
その笑顔が、すこし怖いと思ってしまった。
ーーーー
なんだったんだ、さっきのイケメンは。
なんかの冗談かと思ったので「もしタダなら、ぜひ入学したいですね」と答えた。そういったら彼は「そうか、ありがとうねペルノちゃん」と笑顔で去っていってしまった。色々と気になることがあったが、なにより気になったのは、
「なんであの人、私の名前知ってたんだろ…」
新手のストーカーですか?んな馬鹿な。
ーーーー
なんだったんだろう…と謎に思いながらも家に帰宅すると、両親が部屋を飾り付けしており、壁には『祝♡結婚20周年』と書いてあるプレートを飾っていた。なんともいえない気持ちがこみ上げてきたがそんな様子の私を両親は気づかなかったようだ。
テーブルの上には普段見ないような肉が鎮座しており、「なんだこの肉!!!」といってしまったけど私は悪くない。豪華な食事にひぇぇと変な声を出しながら見つめていた。母は私に「まだ食べちゃ駄目よ」と釘を刺してきた。こっそりつまみ食いしようと思っていたが母は強かった。
待ちに待った夕食の時間になった時、母は父に向かって「朝の薔薇のお返しよ、これからもずっと、一緒にいましょうね」といってキスをしていた。
娘の前で堂々とキスをするとは…と思いながらも「結婚20周年おめでとう」と祝言を贈ると二人は笑って「ありがとう」といってくれた。
料理を食べて、ゆっくり過ごした後、先ほどの歌をを両親へ向けて歌った。
私の歌を聞いた母は号泣してありがとう、ありがとうといって喜んでくれたが、父にいたってはペルノの歌声は天使のようだなぁ!!さすがは我が娘!!ありがとうな!!といって私を持ち上げ、そのまま天井に頭を打ち付けられた。激しい衝撃が身体を走った。
その後の記憶は無く、気づいたときはベットで寝ていた。
目が覚めると「生き返ったぞ!!!」といって母に報告する父を殴りたくなった。
勝手に殺すんじゃない、と。
このことを後に幼馴染みに話したところ、そうじゃないだろと言われた。
こんなことがあって、両親の結婚記念日は楽しく過ごした。
このパーティをした後には、公園での出来事を忘れてしまっていた。
夜、すっかり暗くなった外を見つめながら、先ほどの歌を口ずさんでいると、ドタドタと大きな音を立てて父が部屋に入ってきた。それはもういい勢いで。
「ペルノぉぉぉぉ!!!!!!これはどういうことだぁぁぁぁ!!!!!!」
「うるさい!!!」
さっきの恨みを込めてグーで殴ったところ、心がスッキリしたし、父も落ち着いたようなので一石二鳥はこのことかな、ふふふと思っていると、涙目の父が目の前に封筒を出してきた。
その封筒はいかにも高そうな封筒で、封筒には大きな字で”エスペランサ音楽院”という字が書かれていた。
「え??」
「あのエスペランサから封筒がきてよ…お前、諦めたんじゃなかったのか?」
「あ、諦めたよ!違う学校にいくって決めたのは本当だよ!それに、エスペランサの試験なんて受けてないよ?」
頭のなかではてなマークがいくつも浮かび出てくる。どうして、何故封筒が来た。
もしかしてイタズラか?いやでも封筒の高級感からして違う気がするし…これ本物か?
そんなことを思っていたところ、ふと、公園での出来事を思い出す。
ーもし、タダで入学できるとしたら、どうする?
まさか、いやいやそれはない。
あれはおそらく冗談で言ったんですよね、イケメンさん。
しかし、それ以外でこの封筒が来たという理由になるものはない。
「と、とりあえず封筒の中身見る…」
「お、おう」
心臓の音がうるさいほど聞こえる。
封筒を握る手が震える。
鋏で丁寧に封を切ると、そこに入っていたのは一枚の書類。
その書類には、色々と難しいことが書いてあったが文の最後には
『ペルノ殿、貴方をエスペランサ音楽院の生徒として迎えます。』
という文字が存在していた。
「…え?」
「ど、どうだった…??」
ドキドキした様子を見せる父にそっと書類を渡した。
渡された書類を目に通していた父は、視線が下に行くほど目が開いていった。
それと同時に、身体が震えていった。そして、書類を読んだ父は、急に私の肩をつよく握りしめた。ほのかに痛みが走った。
「おま…よ、よかったなぁ!!!!!!」
その後は、ただひたすらに父親に身体を揺さぶられたことしか覚えてなかった。
うおぉぉぉと雄叫びをあげながら父は泣いていた。号泣していた。今日だけで父は何度泣いたのだろうか。そんなことを思いながら私は意識を手放した。
その日は、両親の結婚記念日で、私にとっての、運命の日だった。
ーーーー
満月の月が街を照らす夜、いつもよりすこし明るい夜だと彼は思った。そして、昼の出来事を思い出す。
あの時聞いた歌は、なんていう名前の曲だろうか。聞けば良かったなぁと呟く彼の手には、黒い封筒が握られていた。
彼は過去を思い出す。幼い頃、初めてこっそりと家を抜け出した時のことを。
家から抜け出した彼は、ふとある歌を耳にした。
それは、まるで天使の歌。
彼はその歌声が好きだった。その歌が終わるまでずっと、バレないように隠れて聞いていた。
しかし、その時はすぐに見つかってしまい、歌は最後まで聞けなかった。
もうちょっと上手く隠れられたんじゃないのか、と彼は過去の自分を笑った。
ふと思い出す。昼、あの歌を歌っていた彼女のことを。
「ずっと前から聞いてました。なんて言ったら彼女、どんな顔をしていたのかなぁ」
ふふふ、と深紅の瞳を輝かせながら笑う彼を、満月の月はただただ見つめていた。
ーーーー
目が覚めたときは、朝だった。まさかこれは夢オチというやつでは、と思ったが、机の上にある封筒を見て、そっと頬をつねってみた。痛みが走る。
その封筒には、あの日の夜にみたものと同じ、”エスペランサ音楽院”という言葉があった。
「夢じゃなかった…」
夢じゃない、あれは夢じゃなかったんだ。私は、あの学院に入学することが出来たんだ。
憧れていた、あのエスペランサ音楽院に、通うことができるんだ。
わき上がる嬉しいという感情を抑えられずに「やった!」と声を出してしまう。
目元が熱くなる。それと同時に視界も歪む。
あぁ、よかった。入学、できるんだ。
入学が決まった、そのことをお母さんにつたえると、母は「おめでとう」といってくれた。なぜ、とは聞かなかった。例え聞かれたとしても自分でもよくわかってないので助かります。まさか公園でイケメンと知り合ってそのイケメンのお陰で入学することが出来ましたとか言えないです。なんとも現実味のない話だ、とは思ったけどこれ以外の可能性が見つからなかった。
それからは大変だった。分厚い封筒や段ボールが届いて、そこには入学手続きだの制服だの色々なものが入っていた。これは凄い量ね、と母は驚いていたが、この書類の中にお菓子が入っていたのは驚きだった。なぜ菓子。そしてその菓子を両親に見せると、それはどうやら超高級店のお菓子だったようで驚いていた。エスペランサの入学料が高いのは生徒一人一人にこのお菓子をあげているからか、凄いなこの学院。私はそう思いながらそのお菓子を口に含んだ。なんだこの菓子。口の中でとろけたぞ。父も同じ反応をした。そんな様子を見た母はそっくりねぇと笑ってそのお菓子を口に含めると「なにこのお菓子、口の中でとろけたわ」と驚いていた。母よ、同じ反応しているぞ。
そんなことがあってから、私があのエスペランサに入学するということが近所でもっぱらの話題となりいろんな人からおめでとうという言葉をいただいた。あの時のおばあちゃんがおめでとうといっておせんべいをくれました。大変美味しかったです。
あの幼馴染みもその一人で、まさか本当に入学するとはなぁと笑っていた。なんだかんだあったけど、入学おめでとう、ペルノ。そういってくれた彼女の笑みはとても輝いていた。その後、彼女は「今日は私の奢りだな」といって幼い頃から通っていたカフェに連れて行ってくれた。最近はお店に顔を出していなかったので久々だなぁと思いながら店内に入ると、店長さんからの熱い抱擁が待っていた。突然のことでなにが起きたのか分からなかったけど、店長さんからはお久しぶり、元気だった、あのエスペランサに入学したんですってね、おめでとうと言われた。ふと横目で彼女を見ると、彼女は私の視線に気づいたのか、にやりと笑って「最近、アンタが顔見せなくて店長寂しかったみたいだよ」と言っていた。店長からの熱い抱擁が終わって、店長が楽しそうに料理を出して「これは私からのお祝いの品よ!」といって小さい時よく頼んでいたイチゴパフェを出してくれた。店長は「ごゆっくりどうぞ」とウインクを飛ばして去っていった。相変わらずだなぁと思い、そのパフェを口に入れる。あぁ、懐かしい。私はこのパフェが大好きだった。二口目のパフェの味は、しょっぱい味がした。そんな私を見た幼馴染みは「店長のパフェがおいしくて泣いてるペルノを写真におさめてやろう」と悪い笑みを作っていた。なに言ってるだよと笑うと、彼女は「やっと笑った」といって写真を撮った。パシャ、とシャッター音が店内に響き渡った。
こうして、エスペランサ音楽院に入学するまでの日々を過ごしていた。幼馴染みは冬休みだからといってよく家に遊びにきてくれたし、私も彼女のもとへよく遊びに行っていた。時々あの公園に訪れて、あのときのイケメンとまた再会できないかと探したものの、あの日以来彼が公園に姿を現すことはなかった。もしかしたら、歌ってたら気づいてくれるかなと歌ったときもあったけど、歌い終わっても彼の姿を見ることはなかった。また、会えるかなと呟いた言葉は、静寂の中に消えていった。
着々と入学式の日が近付いていく。部屋にある日めくりカレンダーをめくるたびに、私はドキドキしてくる。心臓が激しく音を立てる。あぁ、あと少し、あと少し。そんな気持ちで毎日眠りについていた。ある時は夢を見た。その夢は成長した私が、大勢の前の人で歌っている夢。歌い終わった後には、毎回盛大な拍手と花束が贈られる。私に向かって「今日も素敵な歌でした。また次のコンサートも楽しみにしてますね」と言ってくれる人がいた。これはもしかすると私の将来では、よきかなよきかなと思ったところでその夢は終わった。その夢を見た日は、酷く枕元が濡れていたのを思い出す。主によだれです。女の子がはしたない!って声が聞こえる気がするけどそれはきっと気のせいだね!
いくつもの朝と夜を繰り返して、待ちに待った入学式の日がやってくる。
ーーーー
ピピピピ、と目覚ましが音を鳴らして私を起こそうとする。
しかしそんな行動は私には無意味だぜ、目覚まし君よ。なんせ、私は緊張で全く寝れなかったからね。
私は目覚ましのアラーム音を止めて、ゆっくりと手洗い場に向かっていた。ふと鏡を見るとそこには酷い顔の自分がいた。目のしたにはクマがあり、髪の毛も重力に逆らってそれぞれがいろんな方向に向かって立っていた。これは酷い。ホラーに出てきそうだなと思いながら私は顔を洗った。ひんやりした水がとても気持ちがよかった。
顔を洗った後、ふと時計を見ると時計の針は4時を指していた。
さすがに動揺した。
「8時ぐらいに学校にきてくださいって書いてあるから普通6時ぐらいを設定すると思うんだけどなんて4時に設定したんだろ…興奮してたからかなぁ」
そんなことを思いながら、机に近付く。その机には、高級感あふれるあの封筒が置いてあった。最初に届いた、あの封筒。封筒を手にとってその中にある書類を手にとり、再び目を通す。難しい言葉で色々と書いてあるが、書いてることは「条件がありますがそれを受け入れてくれたらタダで入学させる」という内容だった。この条件って、なんだろうなぁと思っていたが、それは今日分かることだろう。
今日は、待ちに待った入学式の日なのだから。ひゃっほう!
ーーーー
エスペランサでは制服はあるがそれを必ず着ろというものではなかった。沢山の書類の中に校則について書かれていたものがあり、そこにはこう書いてあった。
制服は、外での行事の際には着用を強制するが、それ以外では自由とする。
名門校ということで規定とか厳しいのではないかと思ったが、想像以上の緩さ。これでいいのかエスペランサよ、と思ってしまった。私服でもいいとのことだが、私の私服だと何あの子ダサいプークスクスと言われそうなものばかりなので大人しく制服を着ることにした。自由といっていたからいいだろうエスペランサ。私は可愛らしい服なんて持っていないんだ。
そんなことを脳内で思いながらも、時間は進んでいく。気づいた時には、もう時間だった。部屋に置いていたキャリーケースを持って玄関へと向かう。足取りがいつもよりも軽かった。
エスペランサ音楽院には寮が存在しており、学生は皆そこに住んでいるという。寮生活なんて初めてだなぁ、なにがいるんだろ、トランプ?とか浮かれて荷物準備をしていたのはいい思い出。今思えばなんでトランプなんて持っていこうとしたんだろうか。謎だなぁ。
「それじゃあ、いってきます!」
号泣する両親に見送られて、バス停までの道のりを歩いていく。エスペランサは、ここよりも少し離れた場所にあるという。間違えないようにしっかりとバスと電車を確認した。しかし、不安はどうしても出てくる。バスと電車を間違えて遅刻するということをしでかしそうで怖かった。大丈夫かなぁと思いながらも私は、ふと空を見上げる。雲一つない晴天で、太陽は眩しく輝いていた。
いい天気だなぁ、絶好の入学日和だなぁとのんきに道を歩いていた。
これからの学院生活はどうなるんだろうか、無事にたどり着けるのかと不安でいっぱいだったが、それ以上に、学院に入学できたという喜びが溢れ出てきた。学院は、どんなところだろう。そこの生徒さんは、どんな人なんだろう。先生も、どんな人がいるのかな、やっぱり厳しい人が多いのかなぁ大丈夫かなぁ、でもすごい楽しみだと頭の中で色々と考えていた。
目の前の信号が青から黄色、そして赤になる。バス停はもうすぐそこだ。あぁ、楽しみだなぁ。
そわそわしながら青信号を待つ私の目の前に、突然黒くて長い車が止まる。
これ世にいうリムジンってやつですか。黒に輝くその車の存在感に、これが本物のリムジン…!とのんきなことを考えていたが、その車から出てきた人物が視界に入った瞬間私の思考は停止した。
リムジンから出てきたその人物は、知っている人物だった。あの時見た時と同じ格好をしていた彼は私を見つけると深紅の瞳を細め、口角をすこしあげて微笑みながら私に向かって軽く手を振ってくれた。
「久しぶりだね」
その人は、この前公園で出会ったあのイケメンだった。久しぶりってことはもしかして私のこと覚えていてくれたんですか。嬉しいという言葉よりもなぜ覚えているという困惑した気持ちが湧き出てくる。もしかして公園で大声で歌っていたのが衝撃的だったから覚えているといった感じですかそういう面で覚えられちゃったかな、うわぁ恥ずかしい!と頭の中で考えているとふいに腕を引かれた。
「あ、あの」
「君、これから学院に向かうんだろ?俺がそこまで連れて行ってあげるよ」
こういって笑った彼の顔はとても素敵なものだった。イケメンの笑顔の破壊力すごいとあの幼馴染みがいっていたが、確かにその通りだということを身を以て知った。突然腕を引かれてしまったのでバランスをくずした私は、彼の方向に倒れ込もうとしてしまったところだったが、彼はそれを軽くよけ、私をリムジンの中へ乗せる。彼は手際よく私をリムジンに乗せてくれたおかげで、私にはさっきの短い時間、一体何が起きたのか全く理解出来なかった。気がついた時には隣にキャリーケースが置いてあり、リムジンの扉は閉じていた。あっという間に車の中に乗せられた私は、ただただ「ほえー」っと情けない声をだすことしか出来なかった。
ちゃんと状況が理解できたのは、車に乗せられてから三十分後あたりだった。
「エスペランサから封筒が届いたみたいでよかったよ。あれ、君の歌を聞かせてもらったお礼だったんだけど、驚いた?」
「はい、それはとても」
どういうことだってばよ。
歌を聞いたお礼?どうゆうことですかイケメンさんや。
もの凄く動揺してるが彼はそんな私の様子を気にせず話をどんどんと進めていく。待ってください。
「あの後、すぐにエスペランサの校長と交渉してね、彼は快く引き受けてくれたよ。君のことを話したら、彼は君の歌をぜひとも聞いてみたいって」
「は、はぁ」
イケメンがなにをいってるかよくわからなかった。というか、このイケメンは一体何者なんだろう。
歌を聞かせてもらったお礼にエスペランサ音楽院に入学させてあげるってどんなお礼なんですか、そして校長と交渉したってどういうことですか。エスペランサの校長ってあのグレガディアさんなんですよね。
グレガディアという人物は、パイプオルガンの名手として世界に名を轟かせている男性で、彼の奏でる旋律はこの世のものとは思えないほどの美しさを持つといわれているらしいし、彼の音楽を聞くために何千万という大金を払った人がいるとかなんとか聞いたことがある。彼の音楽を聞く為にはこの学院の入学費よりも高い金額を払わなければならないと聞いたときはなにかの冗談かと思った。それぐらい、彼の音楽は素晴らしく、人気らしいのだ。聞いたことがないので分からないが。むしろ、聞いたことがある人物はほんの一握りしかいないそうな。グレガディアという人物は謎に満ちている。確か彼の謎をまとめた本がこの前本屋で売っていた気がする。随分人気だったらしい。謎をまとめただけなのに人気ってどういうことなのだろうか…。
とにかく、そんな凄い人と交渉をしたというのだこのイケメンは。
そしてその人物が私の歌を聞いてみたいっていってたとはどういうことだ。駄目だ、理解が追いつかない。
「あ、あの…」
「ん?どうしたの」
声を振り絞って彼に声をかけると、彼は顔を近付かせてきた。
近い、やっぱり近い。そんなことを思いながらも、先ほどから気になっていることを聞こうと口を開く。
「貴方、いったい何者なんですか?」
この質問を聞いた彼は、にやりと顔を楽しそうに歪ませた。
「さて、何者でしょうか」
その言葉と同時に、車が止まった。
ーーーー
「到着致しました。ここが、エスペランサ音楽院でございます」
リムジンから降りると、そこには驚きの光景があった。
目の前に広がるその光景は、まるで別世界に来たかのような、そんな感覚を覚えた。幼い頃読んでいた漫画の世界に入り込んだようだ!
あ、この建物教科書に乗っていたなんとか宮殿、あれとそっくりですね。写真撮ってもいいですか。そんな思考で埋め尽くされた。もちろん目の前に広がる建築物は、なんとか宮殿ではなく、音楽の名門と言われるエスペランサ音楽院で、その学院は、まるで貴族が住んでいるかのような立派な建物だった。もっと他に言い方があるだろうと思うが、私には語彙力がないんです!
こんな学園で生活していくのかと思うと、先ほどまでの楽しみという感情が消えさっていき、残ったのは恐怖だけだった。なんだ、なんなんだこの音楽院。HPで同じような写真を見たがまさかこれが校舎だとは思わなかった。いやでもこれが校舎なのだろう。エスペランサ怖い。
呆然と立ち尽くしている私の肩に、彼は手を置いた。
「じゃあ、俺は君の荷物を部屋まで運んでおくから、君ははやく自分の教室に向かいなよ」
「え、いいんですか!ありがとうございます!」
私の荷物を運んでおいてくれるとはこの人なんて優しいんだ!と思っていたが、その後ちらっと後ろを振り返ると、彼は私のキャリーケースを運転手の人に渡していた。貴方が運ぶんじゃないんですね。
そんな彼らの背中を見送って、私はエスペランサ音楽院の正門を通る。
なんだかんだあったけど、これから私は、ここの学生になるんだ。
気を引き締めていこう、と自分自身に喝を入れた。
周りの人からなんだあの子と奇妙な目で見られた気がしたがそれは気のせいにしておいた。
ーーーー
そこでの入学式は、とても豪華なものだった。
まず、入学時の音楽は、有名なオーケストラ団が演奏していた。初っぱなからこの出迎えとはさすがはエスペランサ、そんなことを思いながらも、ホールに入場していった。
そこからは、驚きの連続だった。エスペランサの入学費が高かったのはあのお菓子だけではなかったか、と思ってしまったのは内緒。
著名人が多数卒業しているとは聞いたものの、まさかその卒業生がこの入学式で新入生の私たちにお言葉をくれるとは。その著名人の中には、あの歌姫、ノーチェさんがいた。まさか本物に出会えるとは…!長くウェーブかかかった髪をなびかせて、彼女はマイクの前に立つ。いつも画面の向こう側の存在だと思っていた彼女がそこにはいた。今日も美しいです。そんなことを思いながら心の中で手を合わせていた。
彼女は、あまり長く語ることはせず、ただ一言こういった。
私も今日から、この学園で教師としてお世話になります。厳しくいくつもりですので、覚悟してくださいね、と。
その時に見せた笑みを見て、まるで悪魔の微笑みだなと隣の生徒がボソッと呟いた。彼女はすぐに去っていってしまった。女神は入場も退場も素早かった。
卒業生からの言葉を聞いたあとは、一体何があるのだろうかとそわそわしていると、突然ホールが騒がしくなった。人々の視線が舞台に集まる。その舞台を見つめると、先ほど卒業生達が立っていた場所、マイクが置いてある場所に、あのグレガディアさんが立っていた。神の子といわれるグレガディアさんは、儚げな雰囲気を持った男性で、まるで人形のような外見をしていた。校長というからには、おじいちゃんなのかと勝手に想像していたが、彼の見た目は私達とあまり変わらない、若い青年の姿だった。彼が出てきた瞬間、急にホールの空気が急激に変わった気がした。先ほどまで、すこしざわついていた空気が、一瞬にして厳粛な空気を纏った。それは、まるで、なにかとてつもなく大きな存在に見つめられているような。そんな感覚を覚えた。
「校長の言葉」という教頭先生の言葉が、すこし震えていた。
彼は、私たちにこの言葉を贈った。
「はじめまして、皆さん。そしてようこそ、エスペランサ音楽院へ。私は、貴方達を歓迎します。」
こういうと、彼はすぐに舞台から降りていった。彼の背中から、白く大きな翼のようなものが見えた気がした。
彼がホールから姿を消すと、先ほどまでホールを覆っていた重い空気が消え、先ほどまでの重圧感が嘘のように軽くなった。なんだったのだろうか、さっきの違和感は。なにもいないはずなのに、後ろから、大きな存在に心臓をつかまれたかのようなあの感覚は。新手のホラーですか、やめてください。
この一瞬で、私の中でのグレガディアという存在は、なにか恐ろしい存在だとインプットされた。
その後卒業生の演奏があったり教員の言葉があったりと、豪華な入学式は、まだまだ続いた。
ーーーー
長かった入学式を終えた後、皆が入学式の感想を誰かに話しながら寮に向かっている中、私だけは違う方向に進んでいた。
教師から貰った案内所に書いてある、小さな地図とにらめっこしながら重い足取りで歩いていた。なぜ私がこうなっているのか。
それは入学式の後、私はある人物に呼び出されたのだ。その人物というのは、この学園の校長、つまりあのグレガディアさんだ。校長の挨拶で私が一瞬で恐ろしい存在だとインプットされたあのグレガディアさんだ。呼び出されたあの時の衝撃は忘れない。
入学式が終わり、教員の皆様なにか連絡事項はありますか、という教頭の言葉に、「はぁい」と眠たそうにグレガディアさんは返事をした。ざわつく会場内を気にせず彼は教頭からマイクを奪ってこういった。
「えっと…、ペルノ=ティアという名前の学生さん、このあと校長室にきてください…」
以上です、といった彼は完全に私の方を見ていた。その視線をそって他の人も私の方向を見つめる。
こんなに人から注目されたことなんて初めてで、とりあえずうつむいて視線から逃れていた。教室に移動した後は隣だった少女から「なにかしたの?」と聞かれたがそれは私が聞きたいかな…と思いながら「なにもしてないと思うよ」と苦笑いで返事をした。
重い足取りが止まる。私は目の前の扉の上を見上げる。そこには、”校長室”という文字が刻まれた木製のプレートが掛けてあった。今、私はあのグレガディアさんがいるという校長室前にいる。厳粛な雰囲気のあるその部屋は、明らかに人を遠ざけるような空気が漂っていた。さっきの舞台で感じたものよりは軽かったのだがなんという威圧感だろうか。ここから早々に立ち去りたかった今すぐにでも走って寮に向かいたい。しかし呼び出されている以上、逃げるわけにはいかない。
覚悟を決めて、その扉を叩く。
「す、すみません。私、ペルノ=ティアというものですが、グレガディア校長先生、入ってもよろしいでしょうか」
「あ、どうぞどうぞ〜」
そんな友人を家に招くような軽さで返事をされても、と思いながらもその重い扉を押した。
重い扉を開くと、まず見えたのが光。大きな窓から光が差し込んでおり、まるで後光のようだ、と思ってしまった。
室内は素朴な雰囲気で、落ち着いた空気が流れていた。
豪華絢爛な建物の中にある部屋だとは思えないほど、その部屋は質素なものだった。
その部屋の奥では、グレガディアさんと、見たこともないほどの美青年がソファーに座っていた。
グレガディアさんの隣に座っていた美青年は彼以上の美しさを持っており、本当に人かと疑うほどだった。長い金髪を一つに束ねており、その髪や瞳、そして肌まで宝石のような輝きを帯びていた。眩しい、そう思った。世の中にこんな美しい人が存在しているとは!あのイケメンいいこの人達といい、どうしてこう世の中は不公平なのでしょうか!そんなことを考えていた私の思考は、彼らの手元にあるものでものの見事に吹き飛んでいった。
グレガディアさんと美青年の手には、あるゲーム機が握られていた。
それは最近人気のゲーム機で、いつでもどこでも友達と通信が出来る!タッチパネルを搭載!高画質な画面!など色々と売り文句があった気がする。そこらへんのものには疎いためあまり詳しくないが、とりあえず人気のゲーム機だということは知っていた。
で、その人気のゲーム機をなぜ彼らは握っていた。
彼らの美しさなんてもう気にならなくなっていた。今の私の思考は、完全にゲーム機に移っていた。
「校長、それは…」
「あ、これ?ミハエルが気になるって言ってたからお取り寄せしてもらったんだ。よかったら君もやる?」
「おいグレガディア、それは違うぞ。お前がこのゲームをプレイしたいというから、私自らが注文してやったんだぞ。私は断じてこのゲームが気になっていたわけではない」
「でもさっき、すごい楽しそうにゲームプレイしてたよね」
「うるさい、最近になってようやく自我が戻ってきたかと思ったらこれか。今すぐその減らず口を閉じろ。…ところでグレガディア、その少女、まさか」
なんなんだこの人達は、と呆然と立ち尽くしていると突然美青年がソファーから立ち上がりこちらに近付いてきた。あっ、すごい眩しい。現実に発光する人間なんて存在していたんですね。私は目を瞑ろうとしたが、その狭い視界から彼の表情を見た瞬間、眩しいとおもって閉じようとした目が、逆に光を取り込もうと開いていく。
目を見開いた私の視界には、辛そうな顔を、泣きそうな顔をしている美青年が映り込んだ。彼は宝石のような輝きを放つ青い瞳から、一粒の涙を流していた。
涙が頬から落ちると、彼は辛そうな顔を精一杯隠すように、どこかぎこちない笑顔で言った。
「また、会えたな」
その言葉の意味が分からなかった。だが、私の中でなにかが爆発した。心の中にあった、なにかが。こみ上げてくるその正体が分からなくて、頭が混乱して、なにがなんだかわからなくなった。ただ、酷く泣きたくなった。先ほどまで眠たそうな顔をして美青年をからかっていたグレガディアさんも、今はなにかを懐かしむような、久々に出会った友人を見つめるような、そんな目でこちらを見ていた。ぎこちない笑みを浮かべる美青年、自分自身にこみ上げてくるなにか、懐かしむような目で見つめるグレガディアさん。突然のことに、混乱した。
どうしてこうなったのか。なぜ、なぜと頭の中で自問していた。なにもかもが、分からなかった。
私自身にこみ上げてきたなにかは、すこしすると何事もなかったかのように収まった。
とりあえず、目の前の彼が酷く泣きそうな顔をしていたので、声を掛けた。
「あ、あの、大丈夫ですか…?」
「…大丈夫だ。気にしないでくれ」
美青年が目元をこすり私の目を再び見つめる。彼はすこし目元が赤くなっていた。
彼は、どうして私を見た瞬間、涙を流したのだろうか。
どうして、また会えたなと言ったのだろうか。
どうして、グレガディアさんはどうしてあんな目で私を見ていたのだろうか。
そして、なにより分からなかったものは、彼の目を見た瞬間、私の中にこみ上げてきたあれは一体何だったのだろうか。
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あの美青年の名前は、ミハエルという。
同じ次元にいるとは思えないほどの美貌を持った彼は、どうやらグレガディアさんと古い付き合いらしく、今は彼の補佐としていつも彼と一緒にいるらしい。
彼はあの後、まるで何事もなかったかのように私を呼び出した用件を話した。
グレガディアさんも、部屋に入った時と同じように、どこか眠たそうな顔に戻っていた。
私を呼び出したのは、どうやら入学条件のことだった。
そういえば、入学するにはある条件があったっけ。さきほどの出来事や入学式の衝撃のせいで完全に記憶の奥底へ飛んでいってしまった。
入学条件を詳しくは聞けなかったが、つまりは、皆と違う寮で過ごすことになるらしい。
なんだそんなことかぁ、とちょっと安心した。
だって、想像したものとは全く違ったのだから。
皆が豪華な食事の中一人だけ残飯を食べるとか、隔離された古ぼけた校舎で学習するとか、そういった感じのものかと思った。
それを聞いたミハエルさんは「それはないから安心しろ」と言ってくれた。よかったです。
ただ、そのあとに彼がなにか呟いた気がするが、よく聞こえなかった。
その後、ミハエルさんは私に寮までの道のりが詳しく書いてある地図を渡した後、「ちょっと待っていろ」といって棚から何かを取り出して私の前に差し出した。それはリボンのついたオシロイバナの栞だった。栞のリボンは、彼の髪と同じ金色に輝いていた。
どうしてオシロイバナの栞、と思った私の心を呼んだのか、ミハエルさんは口を開いた。
「かつて私の友人が持っていた栞だ。だが、その栞を彼女に返せなくなってな。私が持っていても仕方がない、どうしたものかと思っていたところだったのだ。よかったら貰ってくれないか」
「え、いいんですか?私なんかが貰っても」
「いいんだ。むしろ、受け取って欲しい」
ありがとうございます、と彼に一言言ってその栞を受け取る。
その栞は、初めて見た栞のはずなのに、なぜか既視感があった。それと同時に、酷く懐かしいという感情が湧き出てきた。
そんな私の様子をみて、ミハエルさんは小さく「やはり、覚えていないか」と呟いていた。
彼らと別れて、私はミハエルさんから貰った地図を見ながらこれから住む寮までの道のりを歩いていた。
校舎とは随分離れた場所にあるのか、と思いながら長く続くその道を歩いた。地図を見てみると、まだ寮にはほど遠いようだ。
はぁ、とため息をつく。これから毎日こんな長い道を歩くのか、そんなことを考えていたらため息がとまらない。でも、これも歌手になるという夢のため、頑張るぞと気合いをいれる。「おーっ!」と声を出してしまい、慌てて周りを見回すと、どうやら人はいなかったようで安心した。
手にもったオシロイバナの栞を見つめて、先ほどの出来事を思い出す。
あのミハエルという美青年は、私とどこかで会ったことがあっただろうか。
最初、彼は私を見て「また会えたな」といったのだ。また、とは。
彼とはさっき初めて会ったし、昔に会った記憶がない。忘れているだけかと思ったが、あれほどの美貌を持つ人のことを忘れられるだろうか。人とかけ離れているほどの美貌をもつ、彼の存在を。
彼の言葉も気になるが、なによりも自分自身に湧いたあの感情が気になる。
彼の宝石のようなあの美しい瞳を見た時、突然激しく湧いて出てきたのだ。あの感情をなんて言えばいいのか分からない。
なんだったんだろうなぁ、と呟いていると、私の視界に建物が見えた。
もしかしてアレでは、やっとついたのか、と喜んだ私は、先ほどまで悩んでいたことをなど忘れ、寮を見つけたことに歓喜していた。
すこし小走りでその建物まで走る。
着いた。ここが、これから私の住む場所ー!と喜びに身体をふるわせたが、その建物を見た途端、その喜びが一気に消えた。
遠くからではよく分からなかったが、今目の前に立っている建物見ると、それはもう寮という感じの建物ではなかった。
寮というより、これは家だ。
奥行きのある、二階建ての家。屋根は鮮やかな赤色。
某ファミリーのお家かな、と少し現実逃避をしてみるが、そんなことをしている場合かと一人自分自身に突っ込んでいた。
一回、深呼吸をしよう。一旦、落ち着こう。
大きく深呼吸をしてから、目の前の建物を再び見つめる。
その建物は、どうあがいても一軒家にしか見えなかった
誰かがこのエスペランサ音楽院の敷地内に家を建てたのか、いやそれはないだろう。
もしかして、入学条件ってこれ?
一軒家にすむという条件で入学を認めるということだったか?
…それが条件とは到底思えない。
もしかして道を間違えたのでは、と思ったが、地図ではひたすらまっすぐだとしか書いてない。それに、ここまで歩いてきて一度も曲がり道を見た覚えがない。
どう間違えたというのだ。最初から間違えていたというのか。
もう一度、地図を見る。
地図には寮の間での道のりと、目的地に印が書いてあった。地図といっても、ただまっすぐ歩くということしか書いてなかった。
校舎から目的地まで驚きの直線だ。曲がり道なんてなかった。
裏何かに書いてないかと見てみると、そこには寮の特徴が書いてあった。達筆で書いてあったそれは、目の前の建物が寮なのかどうかを確かめる判断材料になりそうだ。ミハエルさんありがとう、大変助かります!と彼に感謝をしながらその特徴を読んだ。
「えっと寮の特徴は二階建ての家で屋根は赤色…」
目の前の建物は、二階建てで屋根は赤色。完全一致していた。私の知ってる寮は、もっと団地らしいものをイメージしていたが、まさかこれが本当に寮だというのか。大勢の人で過ごすにはこの家はいささか小さすぎないか。一人一部屋ではなく、まさかのルームシェアですか。
頭の中でそんなことを考えていたがそんなことを考えていても仕方がない。とりあえず入ってみよう。もし間違えていたらすみませんでしたと謝って早々に立ち去ればいい。そうなってほしいとどこかで思った。
よし、いきます。
覚悟を決めてインターホンを鳴らす。するとドアの向こう側からと誰かがくる音がする。一体どんな人が出てくるのだろうか。ドキドキしながら私はそのドアが開いていくのを見つめていた。そのドアの向こう側には、誰がいるのか。どんな人なのだろうか。期待に満ちた顔をしてそのドアから出てくる人物を待っていた。ドアからは、それはもう見覚えのある人物が出てきた。
「待ってたよ、ペルノちゃん」
その人は、公園で出会い、私をここに連れてきてくれた、あのイケメンでした。
「…え?」
我ながら、なんと情けない声だったことか。
ーーーー
どうしてここに貴方がいるんですか、と聞いたものの、そんなことはどうでもいいからまぁまずは休憩しなよ。疲れたでしょ。と彼は強引に私をリビングに連れて行ってそこに置いてあったやたらと高そうなソファーに座らせた。なんて力が強いんだこの人は。見た目に反して力がもの凄く強かった。ちょっと待ってくださいと言いながら彼に抵抗したが、それは全くの無意味だった。彼の力と勢いに負けてしまった私は、黙ってソファーに座わりこんでいた。呆然としている私に、彼はキッチンから紅茶とクッキーを持ってきてくれた。紅茶の匂いとクッキーの甘い香りがリビングを包み込んだ。とても良い匂いだった、違う、そうじゃない。
「入学式お疲れさま、どうだった?」
にこにこと笑顔を浮かべながら彼は話しかけてきてくれたが、その質問に答える気が全く起きなかった。それよりも、そんなことよりも、なぜ彼がここにいるのか。まさかここは彼の自宅なのでは。そう思ったが、リビングにいくまでの廊下で、部屋の扉の前に私のキャリーケースが置いてあったのを見た。確か彼と別れる時、彼は部屋に置いていくと言っていた。つまり、キャリーケースがあるということは、ここが、私の部屋になるのか。つまり、ここは案内された寮であっているということになる。だとしたら、彼の自宅という可能性は限りなく低い。自宅でないとしたら、何故彼がここにいるのか。彼はどうやらエスペランサの学生ではないようだし。どうしてだろうなぁと考えながら私は一口紅茶を飲んだ。マイルドな口当たりのミルクティーだった。
「あの、その前に聞いてもいいですか」
「ん?いいよ」
よかった、話を聞いてくれた。彼の先ほどの勢いだと、話を聞いてくれないのではと思ったので、ほっと一安心したくなるが、まだ安心出来ない。私はまだ、彼からなにも聞き出せていない。朝だって、何者と聞いて何者でしょうと言われた始末。今度こそ、ちゃんとこたえてくださいよ、イケメンさん!
「どうして、ここに貴方がいるんですか」
「どうしてって、もしかしてペルノちゃん、入学条件についてちゃんと聞いてなかった?じゃあ俺が教えてあげるよ。
今日から君はこの家で俺と同居生活していくっていうのが、君の入学条件。どう?わかった?」
「…え?」
全く分かりません。どういうことなんですか。
困惑している私を彼は深紅の瞳で楽しそうに見ていた。
「俺の名前はステールン、ぜひステールンと気軽に呼び捨てで呼んでくれ。これからどうぞよろしくね、ペルノちゃん」
どうやら、私に逃げ場はないらしい。彼は紅茶を飲んで「このミルクティーなかなかだな」と呟いた。
イケメン、いやステールンさんはどうしてこんなに楽しそうなのだろうか。ステールンさんの考えていることが全く分からない。というより、私がこれから毎日ステールンさんと一緒の家に過ごすだなんて、心臓持つのかなぁ。不安しかない。私は「どうぞよろしくおねがいします…」と彼に向かって返事をした。その返事を聞いた彼はにやりと笑った。
私の学院生活は、これからどうなってしまうのでしょうか。
助けてください、と心の中で幼馴染みの彼女に救いを求めたが「無理無理」と断られた気がした。
つづく(かもしれない)