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これは、一つの愛の物語

 mirage

 母は、私のことが嫌いだった。

冷たい眼差しを、いつも私に向けていた。

どうしてお前なんか、生まれてきたのと言いたげに私を見ていた。

なんで、どうして。

どうして母は、私のことが嫌いなんだろう。

父に聞きたかったが、私の父は、もうとっくの昔に死んでしまった。

母が私に冷たくなったのは、父がいなくなってからだった。

前は優しかった。微笑んでくれた。いつもご飯を食べさせてくれた。

でもそれは、今となっては嘘でしかないと分かった。

母が優しかったのは、父がいたからだ。

父は、私を大切に扱ってくれた。

きっと母にとって、それはとても妬ましかったのだろう。

私は、最初から母に愛されていなかったのだ。

 

 

ーーーー

 

 

 私の家はとても大きくて、広いから、使用人さん達が沢山いた。

使用人さん達は、いつも母のご機嫌をとっていた。

だから母が嫌う私のことは、いつも見ないフリをしていた。

死なない程度に放っておいて頂戴。それが母の言葉だった。

使用人さん達は、死なない程度に私の面倒を見てくれた。

でも、私の家にはたまにお客さんがくるので、身だしなみだけはちゃんと整えられた。

服は同じ物しか持っていない。だって、それ以外を貰えないから。

髪の毛を三つ編みでまとめ、リボンの形を整え、ワンピースのしわを延ばす。

これで、今日も頑張ろう。

少女の名前はミルイチェ。

母から愛された事のない、子供だった。

 

 

ーーーー

 

 

 ミルイチェは出された朝食を少し残し、その残りをお皿に乗せて庭へと歩いていった。

心地よい風が吹く。風はミルイチェの髪を揺らした。

ミルイチェは髪の毛を整えながらも、皿を片手に森の近くまで歩いていった。

木々が生い茂る庭の端で、ミルイチェはあるものを探す。

そのものとは、猫であった。

昔、ミルイチェが拾って名前をつけた、飼い猫である。

名前はダイナ。黒い毛並みが特徴の黒猫である。

チリン、と首についている鈴を鳴らしてダイナはやってきた。

にゃおん、と鳴いてミルイチェに居場所を知らせる。

ミルイチェはその声のする方へ歩いていく。

「おはよう、ダイナ。」

ミルイチェは笑った。ダイナは鳴いた。

ダイナはミルイチェの足下により、身体をこすりつけて甘えていた。

「ふふふ、待っててね。今ご飯をあげるから。」

ミルイチェは手に持っていた皿をダイナの前に差し出す。

ダイナは鳴き声一つあげて、一心不乱にその皿の上に乗っている料理を食べる。

その様子を見て、ミルイチェはふふふと笑った。

「沢山食べてね、ダイナ」

なぜこんな庭の端でダイナの世話をしているのかというと、以前母にダイナの存在を知られた時に酷くミルイチェを殴って、そして叱った。

ただでさえ、こんな汚いものがいるっていうのに、なんでこんなゴミを拾ってさらに家を汚すの。はやく捨てなさい。

その言葉に深く傷ついたミルイチェだが、家の中じゃなければいいのかと、こっそり庭の木の陰でダイナを飼う事にした。

もちろんこれは秘密にしている。もしかしたら、もうバレているかもしれないが、母や使用人さん達は自分をいないものだとしているので、まぁ大丈夫だろう、とミルイチェは思っていた。と、その途端。

ご飯を食べ終わったダイナが、一目散に走っていた。

驚いたミルイチェは、急いでダイナの行方を探す。と、ダイナは少し開いた玄関から屋敷の中へと入っていってしまった。

いけない、と急いでミルイチェは屋敷の中へ戻った。はやくダイナを外に出さなきゃ、また怒られてしまう。

今度は、殴られるだけじゃ済まないかもしれない。最悪の場合は、ダイナが殺されてしまうかもしれない。

そう考えた瞬間、ミルイチェの顔が真っ青になる。

はやく、はやくダイナを見つけなきゃ。

ミルイチェは耳を澄まして鈴の音を探す。と、左の方からチリン、と音が鳴った。

きっとそっちにダイナがいるんだ、と思ったミルイチェは無我夢中で走った。

そっちの方面に、母の部屋があるということを忘れて。

 

 

ーーーー

 

 

 青年は気づいたらそこにいた。

そこは、ただ真っ暗闇の世界。

一面黒のその世界が、青年にとっての世界だった。

青年はただ闇を見つめていた。

ふと、後ろから声をかけられる。

「やぁ君、まだこんな籠の中にいるんだ。」

青年は表情を変えず後ろを見る。

後ろにいたのは、少女だった。

頭の上にうさぎのような生物をのせ、手には飴を持っており、顔には大きな星マークがついている。

そしてその後ろには、軍服に身を包んだ、眼帯をした青年が何も言わずに立っていた。

「まさか、君みたいなアリスが現れるだなんて。でも君は、まだ何も知らないし、分かってもいない。」

にやにやと、底意地の悪い笑みを浮かべて喋る少女。

そして少女は飴を口に含み、また語る。

「まずはここらへんにある本でもよんで、君のその世界をちょっとは変えてみてよ。ここ、暗すぎてつまらないから。」

少女が腕を振ると、次々と本が現れる。

それは、絵本だったり、歴史の本だったり、難しい内容の本だったり。

様々な本を少女は呼び出し、青年の前に出した。

「大体の基礎知識はあるでしょ。字の読み方とか、文字の意味とか。だって君は、人間の感情から生まれたんだもの。」

それも酷く歪んだ感情だけどね、と少女は笑いながら喋る。

二人の青年は、ただ何も言わず沈黙を保っていた。

ふと、少女の後ろにいる眼帯の青年が口を開く。

「…そろそろ」

彼は一言しか言わなかったが、少女は何が言いたいのか分かったのだろう。はーいと返事をして闇の中に消えていく。

眼帯の青年も、少女に続いて消えていく。

少女は闇に消えながら、こういい残した。

「僕はユメリー、この世界を司ってる夢魔さ。」

パキ、と飴が砕かれる音が響く。それと同時に二人の気配も消える。

一人残された青年は、ただその目の前にある本をただ見つめていた。

 

 

ーーーー

 

 

 「…おかしいなぁ、確かにこっちの方から鈴の音がしたんだけど…。」

ミルイチェはダイナを探して屋敷中を歩き回っている。朝の時間は、母も、使用人さんたちもいないため、一番心が落ち着く時間帯でもある。使用人さん達はいつも昼からやってくるし、母はいつも夜に帰ってくる。まだ朝は迎えたばかり、時間はある。とミルイチェは自身を落ち着かせてダイナの捜索にあたった。

と、廊下の向こう側の扉に、ダイナの姿があった。

「ダイナ!」

ミルイチェは急いでその扉に向かって走った。その音に驚いたのか、ダイナはにゃ、と小さく声を上げて部屋の中に入っていってしまった。

同じく部屋に入ろうとしたミルイチェだが、ふとそのドアを見てあることを思い出す。

「…ここ、母様の部屋だ。」

ここには絶対に近寄らないようにしていたのに。ミルイチェはそんなことを思うが、今はダイナを外に連れて行く事が先決だ。

母は夜に帰ってくるのだから、はやくダイナを連れて外に出れば大丈夫。扉をゆっくりとあけ、そっと音を立てないように母の部屋へ入っていった。

 

 その部屋は、何年も人が入っていないと思うほどほこりを被っていた。

生活感の無いその部屋に、母が入ったのはいったいいつなんだろうか。

まるでどこかの物置部屋のようなその部屋に驚いたが、チリン、という鈴の音でミルイチェの意識はダイナに戻る。

「そうだ、ダイナを早く探さなきゃ…」

ミルイチェはゆっくり歩いて、ダイナの姿を探す。

ギシ、ギシと鳴る床に、いつか底が抜けてしまうのではないかという恐怖感を抱きながら、ゆっくりと足を動かしていく。

と、ある物に気づく。

頭のどこかで、近寄っては駄目だという警報が鳴っていた気がするが、その警報よりも、あれはいったいなんなのか、知りたいと思う好奇心の方が何倍も強かった。

ミルイチェは、おそるおそるその物に近付く。

布がかぶせてあったので、周りの物にぶつけないようそっとその布をとると、そこにはアンティーク調の、大きな鏡があった。

「大きな鏡…。母様の部屋に、こんな大きな鏡があるなんて…。」

暫くぼんやりとしてその鏡を見ていたミルイチェだが、突然鏡に罅が入る。

その音に驚いたミルイチェは、思わず近くにあったものに触れてしまう。と、それはバランスを崩して、大きな音を立てる。

ミルイチェはしまった、という顔をしたが、気づくと足下にダイナがいることに気づいた。

はやくこの部屋から出たい、と思ったミルイチェは、急いでダイナを腕に抱きかかえて部屋の扉へと走っていった。

頭の中で先ほどよりも強く警報がなっている。ミルイチェは汗が止まらなかった。

はやく出なきゃ、はやくここから出てダイナを外に連れて行かないと。

扉に手をかけ開けようとしたが、その扉はびくとも動かなかった。

「っ!なんで…!どうして開かないの…!」

ミルイチェは片手で扉を動かし続ける。ガチャガチャガチャ。鳴るのは扉が閉まっているということを告げる音だった。

ドアを開けることに必死だったミルイチェだったが、突然後ろから大きな音が聞こえた。

 

それは、鏡が割れる音。

 

あまりにも大きな音で、驚いたミルイチェは腕の力を弱めてしまい、ダイナはミルイチェの腕から逃げてしまった。

慌ててダイナを連れ戻そうとして、後ろを振り向くと、そこは先ほどまでいた母の部屋とは違い、まるで子供部屋のような、不思議な空間が広がっていた。ふと足下を見ると、割れた鏡の破片と絵本が落ちていた。

「こ…ここは…。」

ミルイチェには何が起きたのか全く分からなかった。突然、部屋が変わるなんてそんなこと。だって先ほどまでいた母の部屋とは全く違う世界が広がっていたから。

ふとダイナのことを思い出したミルイチェが、ダイナの姿を探そうとして辺りを見ると、部屋の奥からある一人の青年がやってきた。

青年は青色の髪の一部が白くなっており、目は金色と紫色のオッドアイで、目のしたにはダイヤのマークがついていた。

服装は白いシャツに黒いケープを羽織っており、ダイヤの柄のマフラーをしている青年が、そこには立っていた。

「あなたは…。」

その青年は、とても綺麗だった。まるで作り物のような美しさを持っていた。

ミルイチェは青年の美しさに目を奪われていたが、次の瞬間、彼は彼女の首を絞めていた。

「…っ!!」

「…あぁ、なるほど。この感情はこうすれば消えていくのか。」

片手でなぜそんな強い力が出るのか、と思うくらい彼はとても強い力でミルイチェの首を絞めていた。

 

ーーーー

 

 

 青年は本を読んで、大体の知識をつけた。

あの時の夢魔が用意した本は全て読み終わった。

ふと、青年が周りを見てみると、そこは一面黒の世界ではなく、カラフルな世界だった。

読んだ本の表現を借りると、子供部屋。

床は四角形、様々な色をした四角形で出来ており、壁は空、というものが描かれていた。

目の前にあったものはおもちゃ。

使い方は本で読んだ。さっそく青年は本で得た知識をそこで使う。

手に取った物は、パズルだった。

一つ一つのピースを埋めていくことに、彼は夢中になった。

そのパズルは、すぐに完成した。

完成したパズルには、花畑が描かれていた。

青年は想像した、この部屋の外には、こんな世界が広がっているのだろうかと。

青年が周りを見渡していると、おもちゃではなく、ある一つの鏡を見つける。

その鏡は、うす汚れた茶色い部屋を写していた。

「…?」

青年は気になってその鏡を見ていると、ある少女の姿が映り込む。

その少女に、彼は心惹かれた。

激しい感情が、己の身体から生まれてくる。

あぁ、一体この激しい感情は、一体なんだろうか!

青年が鏡に触れると、その鏡に罅が入った。

それと同時に、鏡に写る少女も驚いていた。

…欲しいなぁ。

青年は少女を手に入れたいと思った。

だって、ここまで自分の感情を動かしたのは、彼女だけだったのだから。

どうすれば彼女をここにつれてこられるか、とふと考えた青年は、一つの方法を思いつく。

この鏡を通して、この場所とあの場所をつなげてしまおう。

青年は力を込めてその向こう側の世界を想像する、そして、力強く鏡を叩く。

鏡は、大きな音を立てて割れた。

その瞬間、彼の世界は大きく歪んだ。

青年は思わず目を閉じる。暗闇。黒。

そっと目を開けると、そこには欲しいと思った鏡の向こう側にいた少女がいた。

思わず顔に笑みが浮かぶ。と、先ほどよりも強い感情が青年を襲う。

ああ、この感情は、この感情は一体なんだろう、どうやったら抑えられるんだろう。苦しい。苦しい。にくい。

青年は感情のままに少女に襲いかかった。そこに確かな笑顔を浮かべながら。

 

 

ーーーー

 

 

 突然首を絞められた。何故、どうして。彼はなんで私を。

ミルイチェは混乱していた、頭に酸素が回らない。あぁ、ぼうっとする。静かに涙を零す。

と、急に首にかかっていた力が緩み、ミルイチェは地面へ落ちた。

「…っ!!!」

げほ、げほと咳き込む。急いで酸素を取り込もうと、息が上がる。

ミルイチェはそっと青年の方をみると、青年はただ驚いた顔をしていた。

なんで、という疑問がずっと頭を占めていたが、ミルイチェはすぐさま立ち上がって少しでも早く、少しでも遠く、彼から逃げようと、彼に背を向け走り出した。

子供部屋には、一つの扉があった。

ミルイチェは急いでその扉を開けてその世界から飛び出した。

その時だけは、母も、ダイナも、なにもかも忘れ、一心不乱で走っていた。

逃げなくちゃ、逃げなくちゃ。彼は危険だ。彼は私を殺そうとした。一刻も早く逃げなくちゃ。少しでも、遠く!

ミルイチェはただ目の前に広がる世界を走った。

その世界はとても不思議な物だった。

幾何学模様でできたその世界は、ミルイチェのいた世界とは何もかもが違った。

ミルイチェはとにかく隠れられそうな場所を探した。

と、世界を見渡していると、廃墟が立ち並ぶ、まるでそこに町があったかのような場所を見つける。

ミルイチェはそこを目指してただただ走った。

幾何学模様の空の狭間から、黒いなにかが笑っていた気がした。

 

 

ーーーー

 

 

 青年は初めて感じた感情に動揺が隠せなかった。

どうして、自分は彼女の涙を見た途端、こんなにも辛くて、心が痛くて泣きそうな気持ちになったのだろう。

あぁ、これが悲しみか。

青年は一人、そんなことを思っていた。

先ほどまで彼女の首を絞めていた自分の手を見つめる。

青年は胸を高鳴らせた。あぁ、なんだかドキドキする。

ふと笑みがこぼれる。もっと、もっと知りたい。

彼女と出会ってから、自分の身体から色んな感情が溢れていた。

本で読んだ、感情の名前。

嬉しい、楽しい、悲しい、憎い、苦しい。

ふふ、と楽しそうな声を上げる。さぁ、彼女を探しにいこうか。もっともっと、彼女に触れてみたい。彼女を苦しませてみたい。彼女に。彼女に。

止まらない欲望が青年の身体から溢れてくる。

これは、確かなにかの本で読んだな。そうだ、鬼ごっこだ。

自分が鬼で彼女は逃げる子供。

さぁ、彼女を捕まえて、自分の手の中に収めて、本で読んだ、様々な知識を使ってみよう。

彼の足下からなにかが生まれてきた。

それは黒くて、醜い、小さな化物だった。

 

 

ーーーー

 

 

 ミルイチェは一体どれほどの長い時間をそこで過ごしたのだろうか。

彼女は小さな身体を抱き、震えていた。

いつ、見つかってしまうのだろうか。もし彼に見つかったら、また殺されかけてしまうのだろうか。

震える身体。止まらない恐怖。

ミルイチェはただただ、廃墟の中で、ただずっと丸くなっていた。

「…そうだ、ダイナ。」

ふと、思い出したかのように猫の名前を呟く。

ミルイチェがふと周りを見ていると、黒い何かが目に入る。

もしかしてダイナかもしれない。

そう思ったミルイチェは、物陰に隠れながら、その黒い影に近付いていく。

この時の彼女は気づいていなかった。

ダイナには、首に鈴がついている事を。

動くたびに、その鈴が音を立てている事を。

その黒い影からは、なにも聞こえなかった。

どんなに動こうとも、物音一つしなかった。

しかし、ミルイチェはダイナ、と呼んでその影に近付いていく。

そっとその黒いなにかに触れようとした、その瞬間。

黒い影は、突如として大きな化物になる。

大きな口に、ギザギザと尖った牙。

目は、焦点があっておらず、手には鋭い爪を持っていた。

ァ…ア…と声を上げる化物に、思わずミルイチェは叫んだ。そして、走って逃げた。

 

 

ーーーー

 

 

 遠くでなにかが爆発する音が響く。

その音を聞いた青年は、少女がそこにいるのではないか、と思い急いでその場に向かった。

もう一度、苦しむ顔を見せてくれるのかな。

そんなことを頭の端で思いながらも。

 

 彼が先ほどまでいた彼女の場所についたのは、あれから少し時間が経った後だった。

そこには、彼女の物と思われる紫色のリボンが落ちており、すこし赤色に染まっていた。

青年は、それを見た途端、身体が重くなった。

これが世に言う、嫌な予感か。

彼は冷静に自分の身体に起こる変化を分析していた。

そして、青年は彼女の気配を追って、すぐさま走り出す。

手に、あのリボンを握りしめながら。

 

 

ーーーー

 

 

 ミルイチェはあの化物に追いかけられていた。

ダイナと思って近付いた黒い影は、ダイナではなく、化物だった。

ミルイチェはこらえきれず涙を流した。その涙は地面に落ちて消えていった。

と、目の前に壁。

「っ!」

ミルイチェは思わず足を止めた。化物がにやりと笑った気がした。

化物はすぐさま、彼女の息の根を止めようとした、が。

「消えろ。」

恐ろしく低い声で青年が言うと、化物は戦き、すっと姿を消した。

その光景はとても恐ろしかった、だが、とても美しかった。

ミルイチェはぼんやりとその光景をみていると、青年はミルイチェの方に近付く。

はっと、意識が戻ったミルイチェはあの時の、首を絞められた感触を思い出し、すぐさま彼から逃げていった。

怖い、怖い!と恐怖心に抱かれながら、ミルイチェは無我夢中に走っていった。

そんなミルイチェを、青年はただ見つめていた。

「…なんで、僕はあの時、いらいらしたんだろう。」

ふと手を見つめながら、青年は呟いていた。

 

 

ーーーー

 

 

 あぁ、逃げてしまった!

ミルイチェが逃げ込んだのは、先ほどいた廃墟の中。

心臓がばくばくと音を立ててうるさい。ミルイチェはなんとかして落ち着こうとしていた。

ふぅ、と一息つくと、ゆっくり考えることができるほど落ち着きを取り戻した。

先ほどの出来事を思い出す。

ダイナかと思ったら、あれは化物で、私を殺そうとして、死んじゃうかと思ったけど、彼が助けてくれて…。

どうして、彼は私を助けてくれたんだろう。

彼は、私を殺そうとしていた。

だって、首をあんなに絞めてきたから。

そっと首もとに手を置く、じわじわとあの時の感触が戻ってくる。

「…。」

ミルイチェはただ考えていた。

どうして、私はこんな場所に来てしまったのだろうか。

ダイナを連れ戻すために屋敷の中に入って、そして母様の部屋の中に入った。

そこは物入れのような部屋で、そこに置いてある物はどれも古いものばかりで、ほこりを被っていた。

生活感なんてない、あの部屋。

…どうして母様の部屋は、あんな風になっているのだろうか。

母様は夜にだけ帰ってくるけど、一体何をしに帰ってきているのだろうか。

ミルイチェの頭の中は、母のことだけだった。

幼い頃からずっと、ミルイチェの頭の中には母がいた。

優しくて、暖かくて、でもそれは嘘で、本当は、無慈悲で、冷たくて。

ミルイチェはずっと母から愛されたかった。

母に愛されるために、沢山のことをしてきた。

でも、どれも意味がなかった。

テストで満点をとっても、当たり前だと相手にされず。

一人で料理を作って、母に食べてもらおうと出しても、そんな汚いもの、食べられるわけないじゃないといって捨てられた。

レシピ通りに作れた。見た目だってとても上手くできた。

掃除をしても、散らかさないでと怒られて。

何をやっても、何をしなくても、母からは怒られていた。

「…母様。」

ふと、髪の毛についていたはずのリボンがないことに気づく。

「えっど、どうしてないの!」

慌てるミルイチェ。だってあのリボンは、母様から貰った、唯一の…!

周りを見渡すが、紫色のあのリボンはどこにも落ちていなかった。

「探さなきゃ…!」

ミルイチェは立ち上がって、すぐさま先ほどまでいた場所へと戻っていった。

 

 

ーーーー

 

 

 青年はただ、手に持つリボンを見つめていた。

彼女はどうして、自分から逃げていくのだろうか。

自分はただ、彼女の苦しむ顔が見たいだけなのに。

あぁ、でもあの化物が生み出した彼女の苦しむ顔は、見たくないなぁ。

そんなことを思いながら青年は、そっと先ほど抱いた感情について考えていた。

どうして自分は、あの化物を見た瞬間に、いらつきを感じたのだろうか。

憎しみ?怒り?悲しみ?独占?…嫉妬?

彼は思いつく限りの感情の名前を上げていく。

なんでだろうなぁ、と呟いていると、ふと近くで物音がした。

…もしかして、あの子?

青年はその物音がした方を見つめると、案の定そこには少女の姿があった。

少女は青年を見つけると、また遠くに逃げていってしまった。

もしかして彼女は鬼ごっこが好きなのだろうか。

首を傾げる青年。ふと、少女がまたこちらを見ていた。

あれ、逃げてない。

青年はずっと少女の様子を見ていた。

少女も、ずっと青年の姿を見ていた。

さっきみたいに、逃げないのは、なんでだろうか。

逃げてる時の顔、僕けっこう好きなんだけど。

そんなことを思っていた青年だったが、ふと手に持っているリボンを見て分かった。

きっと彼女は、これを探していたんだ。

だから逃げずに、ああやって様子を見ているのか。

青年はその答えを知ってスッキリしたが、同時にもやもやとした感情が現れる。

僕じゃ、なかったんだ。

まぁでも、ああやってうろうろしてる彼女も可愛いし、様子見していよう。

青年は傍観することを決めた。

 

 

***

 

 

 ミルイチェは絶望していた。

リボンが見つかったのはいいものの、そのリボンはまさかあの青年が持っていたから。

「ど、どうしましょう…!」

ミルイチェは頭を抱える。あのリボンは大切な物だ。返してもらいたい。

けど彼に近付いたら、きっとまた殺されてしまう。

あの時は助けてもらったけど、今度は助けてくれないかもしれない。

「…そういえば、お礼を言うのを忘れていました…。」

殺されかけたとはいえ、助けてもらったし…。

でもそういって、お礼を言いに行ったら、また殺されかけるかもしれない。でも…。

ミルイチェは混乱した。

暫く青年から少し離れた場所で、うろうろしていると、ふと彼と目が合った。

思わず身体を隠してしまう。

殺されるかもしれない、そんな恐怖心で。

でも、ここで逃げてしまったら、リボンは返してもらえないし、それに助けてもらったお礼もいえない。

ううん、と悩ませていると、彼が近付いてきた。

「えっ!」

思わず声を上げるミルイチェ。

彼が近付いてきた。もしかして、殺される。また、首を絞められて。

身体の振るえが止まらない。ミルイチェはかたかたと身体を振るわせて、ただ近付いてくる青年を見る事しか出来なかった。

青年との距離は、あとわずか。

先ほどまでだったら、きっともう逃げてしまっていただろう。

今すぐにでも、逃げてしまいたい。

でも、リボンが、お礼が。

逃げたい気持ちと、逃げたくない気持ち。

二つの気持ちが混雑して、ミルイチェは一旦停止してしまった。

青年との距離は、もう0だった。

青年はただ、ミルイチェを見つめていた。

なにもしてこない…?と不思議に思ったミルイチェの前に、青年がリボンを渡す。

「これ、君のだよね。」

ミルイチェはおもわず目を開かせる。殺されると思った。首を絞められるかと思った。

でも今目の前の彼は、自分が探し求めていたリボンを、差し出してくれた。

「は、はいそうです…。」

震えた声で、そのリボンを受け取る。

自分の手に戻ってきたそのリボンを、大事に抱くミルイチェ。

ミルイチェはすこし涙目になりながらも、あ、と小さく声を漏らした。

一旦涙を拭いて、精一杯の笑顔を作ってミルイチェは笑った。

「リボン、ありがとうございます…!あ、あと、さっきは助けていただいて本当にありがとうございました…!」

にこりと、ミルイチェは心の端で変に笑ってないか心配になりながらも笑顔を作った。

突如、彼が固まる。

そんな様子にミルイチェは気づかず、彼の元から去ろうとするが、彼がそれを許すわけもなく。

ミルイチェの腕を彼は力強く握りしめていた。

「あ、あの…?」

青年はただ何も言わず、ただミルイチェの顔を見つめていた。

暫くの沈黙。

「…僕は、君のその顔がもっと見たい。」

彼が口を開いて呟いたのは、そんな言葉。

「どうしたら、君はその表情を僕に見せてくれるの。」

 

 

ーーーー

 

 

 そんな様子を見ていたのは一人の夢魔。

「ひゅ〜〜〜っ!いいねぇいいねぇ盛り上がってきた!」

にしし、と笑う夢魔。それはもう、楽しそうに。

「あのアリス、最初はどうしてやろうかと思ったけど、このままいってくれたら、きっとどのアリスよりも素晴らしい存在になってくれるよ!彼!」

頭の上に乗っているうさぎを撫でる。優しい手つきで撫でるその手には、明らかに愛おしさを孕んでいた。

「アイツの感情を喰らったら、きっとお兄ちゃんも、元の姿に戻れるよね。」

うさぎに向かって話しかける、そのうさぎは、何も答えず、ただ夢魔に身を委ねていた。

「でも今喰らったら、もったいないし、つまらないよねぇ!じゃあもうちょっと、彼女にはここにいてもらおうか!入り口である鏡は全部割っちゃお!うふふ!楽しみだなぁ〜!収穫が!」

夢魔は、くるくると、楽しそうに踊った。

 

 

ーーー

 

 

 青年の言葉に、ミルイチェは驚いた。

つまりは、笑った顔がもっと見たいってことなのだろうか。

青年の言葉の意味を理解すると同時に、ミルイチェの顔に熱が集まってくる。

えっあっ、そんな可愛らしい声が漏れる。そんな様子をただ、青年は表情を変えず見ていた。

「…どうして顔を赤く染めているの?」

「えっと…あのこれは…!」

どう言ったら伝わるのだろうか。ミルイチェはただ頭の中がパニックになった。

突然、笑顔がみたいだなんて言われたら、恥ずかしくてこうなってしまう。

慌てふためいていると、青年はふと理解したような表情をした。

「そうか、これが照れているということか。」

面と向かって言われると、さらに恥ずかしいなぁ、とミルイチェは思った。

そしてふと思った。照れているということか。それはつまり、彼は照れているという状態がどういうものか知らなかったのだろうか。

「…君のあの表情は、笑顔というものだと本で読んだ。笑顔が見たいというと、君は照れるの?」

「ええっと…あの…その…前に読んだ本で、そうやって告白する人がいたから…。」

「告白?告白っていうのは、心の中で思っている事をいうってこと?」

「確かにそうなんですけど…!」

青年からの質問攻めに、戸惑うミルイチェ。

先ほどまでは、彼に恐怖心しか抱いていなかったが、今の彼はそんなことを微塵も感じさせない、むしろ子供のような無邪気さで、彼女に質問をしていた。これの意味は?こういうことかい?

それは、新しく学んだ知識を自慢する子供のようで。

なんだかミルイチェは、さっきまでの彼とは別人みたいと思い、笑いがこみ上げてきた。

ふふふ、と笑うと、彼は驚いた表情をした。

「笑った。」

彼は嬉しそうに言った。やっと、笑ってくれたと言いたげに。

ミルイチェは、子供のように無邪気に笑った彼の表情を見て、胸の高鳴りを感じた。

 

これが、彼女と彼が、初めて心を通じ合わせた時であった。

 

 

ーーーー

 

 

 それからミルイチェは、青年に沢山のことを教えた。

本に書いてあることを、実践で教えてあげたり。本に書いていないことを、彼に教えてあげたり。

彼もまた、彼女を笑顔にしたかった。

笑った顔の彼女をもっと見たいと思ったから。

青年の中に、彼女と初めて出会ったときの感情は、笑顔が見たいという気持ちに隠れて消えていった。

青年はただ、彼女の笑顔が見たいと願った。

 

 二人で一緒に、この世界を歩いたときもあった。最初に出会った、子供部屋で遊んだときもあった。

二人はいつも、一緒に暮らしていた。

ふと、ミルイチェがある物を見つける。

子供部屋で見つけたそれは、とてもキラキラと輝いていた。

金色に輝くそのガラス玉は、まるで青年の瞳のようで。

ミルイチェは思わずそれを拾い上げ、青年にプレゼントした。

青年は興味があまりなさそうだったが、ありがとうと感謝の気持ちの言葉を述べて、ポケットの中に入れておいた。

 

 ミルイチェは彼に惹かれていった。

ミルイチェは彼の笑顔が大好きだった。子供のように、笑う彼が。

青年はミルイチェに愛情を抱いていた。

青年もミルイチェの笑顔が大好きだった。ずっとそれを見ていたかった。

彼女の笑顔を見ていると、なんだか心がとても穏やかになるから。

 

二人は確かに惹かれ合っていた。互いにお互いを大切に思っていた。

 

 

ーーーー

 

 

 ある日ミルイチェは、青年に名を聞いた。

「そういえば、ずっと気になっていたの。貴方の名前は、なんていうの?」

青年は困った顔をした。どうして?とミルイチェは思ったが、その答えは彼が答えてくれた。

「…僕には名前がないんだ。生まれてからずっと。君と出会うまで僕は、ひとりぼっちだったから。」

その言葉を聞いてミルイチェは悲しい気持ちになった。だって、生まれてからひとりぼっちだったなんて。

ふと、自分の昔を思い出す。父から愛され、母からは愛されなかった私。

もし私は、父から愛されていなかったら、一体誰から愛情を貰えたのだろうか。

父からこの名前を貰えなかったら、一体誰から名前を貰えたのだろうか。

一筋の涙がこぼれる。その様子を見て、青年は驚いた。

しかし、すぐにミルイチェは涙を拭く。なんでもないよと一言言って。

「…もしよかったら、私が名前をつけてもいい?」

彼は誰からも愛情を貰っていないのならば、私が彼に愛情を与えよう。

彼は誰からも名前を貰っていないのならば、私が彼に名前を与えよう。

私が、彼を愛してあげよう。

そんな気持ちを抱きながら、ミルイチェは青年の名前をいう。

 

「貴方の名前は、エスティヴィミール」

 

エスティヴィミール、それが青年の名前となった。

そして彼女は静かに思った。

その名前の意味をいうときは、私が彼に対して抱いているこの気持ちを口に出来る勇気を持ったときだと思いながら。

 

 

ーーーー

 

 

 エスティヴィミールには思い出がなかった。ずっと一人でこの世界にいて、ずっと一人で生きてきた。

途中夢魔と名乗る少女が現れたが、彼女とはあれっきり一度もあっていない。

ミルイチェがそれを聞いて、笑顔でこういってくれた。

「これからは、私がずっと一緒にいてあげる」

その言葉を聞いてエスティヴィミールは嬉しく思った。これからはもう、一人じゃないんだ。

ありがとう、と一言言った。

ミルイチェが一つ、背伸びをしたあと、エスティヴィミールに向かってこういった。

よかったら、私の過去を聞いてくれる?

彼女はそっと瞳を閉じて、己の過去について語り始めた。

 

 

ーーーー

 

 

 二人の男女が互いを愛し合い、そして作った子供。

それがミルイチェだった。

男はそれを深く愛し、女はそれに嫉妬した。

女は確かに嫉妬を抱いていたが、子供に愛情を抱いていた。

だって愛しの人との子供なんですから。

女は子供を愛した。男はそんな二人を見て、微笑ましく笑った。

幸せな生活だったが、それは長くは続かなかった。

 

父が交通事故で死んだのだ。

 

娘の、ミルイチェを庇って。

女はそれを深く悲しんだ。そしてその悲しみは、憎しみへと変わっていった。

全部、全部あの子が悪いの。

女は男と娘の思い出の品々を自分の部屋にしまい込んだ。

その中には、男からプレゼントされた、鏡があった。

女は娘を見ないようにした。

使用人達も、娘をみないようにしてきた。

だって、奥様はあの子を嫌っているから。

あの子を甘やかして、あの人の怒りなんて買いたくないわ。

娘は一人になった。

 

 

 

ーーーー

 

 

「母様は、私を憎んでいるの。だって、父様を代わりに助かってしまったから。」

そう悲しげに語るミルイチェ。エスティヴィミールは、ただその話を聞いていた。

ミルイチェの瞳から涙がこぼれ出る。ぽろぽろ、ぽろぽろと。

それは音を立てて、光を反射させながら、地面へと落ちて行った。

エスティヴィミールは、ただその光景を見つめていた。

そして、そっと静かにミルイチェを抱き寄せた。

 

 

ーーーー

 

 

ガリッと飴を砕く音がした。

紫色の髪を揺らしながら、夢魔は収穫の時がきたと笑った。

小さな身体に似合わぬ、大きな鎌を手に、夢魔は楽しげに笑った。

「さぁ、待ちに待った収穫だ!うふふ、楽しみに待っててね!お兄ちゃん!」

夢魔はスキップをしながらその空間から姿を消した。

残ったのは、いつも彼女の頭に乗っているうさぎだけだった。

 

「ユメリー、そんなことをしなくても、いいんだよ」

男の声が、その空間に響いた。

 

 

ーーーー

 

 

 エスティヴィミールは、一人だった。

ミルイチェは今、子供部屋で寝ている。幾何学模様の空は、夜を現していた。

エスティヴィミールは、子供部屋に彼女を残し、ふと彼女との出会いを振り返っていた。

 初めて会ったときは、苦しかった。そして苦しいという気持ちとともに、憎いという気持ちがあった。

どうしてそんな気持ちがあったのかはわからない。ただ、その気持ちは彼女の苦しむ顔を見た時消えた。

今はどうだろうか。

ふとその感情を掘り起こそうとしてみた。だが、その感情はいつまでたっても現れなかった。

きっと、彼女に絆されたんだろうな。エスティヴィミールはふふっと笑った。

今は、彼女の苦しむ顔よりも、笑顔を見ていたい。

楽しげに歩いていた彼だったが、そんな彼の近くに現れたのは、大きな鎌を持った夢魔だった。

「やぁ、久しぶり。」

「…。」

エスティヴィミールは一気に不機嫌になった。せっかく人がいい気持ちだったというのに。

「…何の用。」

「いやぁ、最初に出会ったときよりも君、輝いてるなぁって!だからちょっと、邪魔しに来たんだ。」

「帰れ。」

彼は夢魔に向かって魔法を展開した。夢魔はそれを鎌で防いだ。

「いきなり攻撃だなんて酷いじゃないか。せっかくいいことを教えてあげようと思ったのにねぇ!」

むふふと笑ったその夢魔は、ポケットからある手帳を取り出す。

それはすこし古びた手帳。一体それがなんなのか。それを知るのは夢魔だけだった。

「これ?何か知りたい?知りたいよねー!だってこれ、君の愛しの彼女ちゃんの母親の日記で〜す!ぱんぱかぱーん!」

「そんなの、別に興味ないけど?」

「えぇ〜っいいの?そんなこと言っちゃって!」

宙に浮いてくるくる回る夢魔。そんな夢魔の様子に、エスティヴィミールは怒りを感じていた。

「いい加減に…」

「これ、君に関係あることなんだよ?だって君は、こいつの感情から生まれたんだから!」

「!」

エスティヴィミールは目を見開く。まさか、彼女の母親と、自分が関係していたなんて、思わなかったのだから。

夢魔はそんな彼の様子をふふ、と笑いながら、真実を語っていく。

「お前は、彼女ちゃんの母親の嫉妬の塊から生まれたんだよ。あの女、自分が男に愛されたかったからって、自分の感情を鏡の中の自分に押し付けるだなんて、すごいことやるよね〜!まぁ本人は無自覚だったんだけど。この手帳には、そんな女の気持ちが綴られてるんだよ。つまり、お前の原点ってわけ。あっはは、すごいよね〜。中身は嫉妬で醜い言葉だれけ書いてある!『どうしてあの子の方が愛されてるの』『どうしてあの人は私を見てくれないの』って!あっはは!かっわいそうに〜!!でもねぇこの日記、最初はそんな妬みばっかりなのに、途中から妬みから懺悔に変わってるんだよね。どうしてだと思う?嫉妬から生まれたエスティヴィミール君!」

「…。」

エスティヴィミールは、なにも答えなかった。

自分が彼女を最初に見て感じたあの感情は、自分ではなく、彼女の母親の感情だったのか。

だから、苦しかった。

だから、憎かった。

黙っているエスティヴィミールに興味が無くなったのか、夢魔はその手帳を投げ捨てる。

「つまらないなぁ、残念〜。もっとこう、『なんだってー!』みたいな反応するかと思ったら、まさかの無反応!つまらないわぁ〜…。じゃあそれあげるよ、別にいらないし。じゃあね!」

そういって夢魔は姿を消した。その行方なんてべつに、エスティヴィミールには興味なかった。

ふと、投げ捨てられた手帳を見る。

妬みから懺悔とは、一体どういうことなのだろうか。

気になったエスティヴィミールは、その手帳を拾い、最初のページから読み始めた。

 

 

ーーーー

 

 

 ○月○日

ついに生まれた私たちの子供、顔は私にそっくりだって、あの人は笑って言ってくれた。

愛しい私達の子供、これから沢山愛情を持って育ててあげなきゃ。

名前はもう決まっているわ。

ミルイチェ、それがあの子の名前。

この言葉の意味は、『愛してる』

いつかこの名前の意味を、あの人と二人で一緒に伝えたいわ。

 

 ×月○日

…どうしてかしら。あの人は、ずっとあの子の面倒ばかりみて、私にかまってくれない。

理由は分かっているわ、あの人は、私よりもあの子の方が好きなんでしょう。

自分の子供ですものね。分かっているわ。

あぁ、私もちゃんと愛してあげなきゃ、だって、彼が望んでいるのは、娘を愛する母親だもの。

 

 △月△日

あぁ憎たらしい!あの子は私からあの人を奪った!あの人はもう私を見てくれない。

あの人はあの子に夢中だもの。私はもう、おさらばってことね。

いいわ、それならそれで。あぁ、どうしてあの子は私とそっくり顔をしているのかしら!

なにが愛してるよ。馬鹿馬鹿しい!

 

 □月×日

あの人が死んだ。あの子を庇って。

どうしてどうしてどうしてどうして。

どうしてあの子が生きて、あの人が死んでしまったの!!

私は、私はあの人さえいればよかったのに!

あの子が死ねば死ねばよかったのに!

 

 □月□日

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

違うの、本当は違ったの。

私があの人を殺したの。

私があの人を死なせたの。

あの時、私はあの子を突き飛ばした。

死んでしまえ、ただその一心で。

でもあの人は、あの子の身代わりになった。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 

 ○月×日

あのこがまんてんのテストをもってきてくれた

ほんとうはちゃんと、えらいね、よくがんばったねっていいたかった

でもわたしに、あのこにふれるしかくなんてない

ごめんなさいこんなははおやで

 

  月 日

なつかしいものをみつけた

おおきなかがみ、これは、あのひとからのぷれぜんとね

あぁ、かがみのなかのじぶんに、このかんじょうをすべておしつけたい

そしてらくになりたい

 

  月 日

しろいへやにいたの

あるせいねんが、わたしにむかってこういったの

ねがいをひとつかなえてあげるって

だからわたし、こうねがったの

わたしのかんじょうすべてを、かがみのじぶんにおしつけてって

 

  月 日

あのこのかおをみるのがこわい

きょうもまたひどいことをいってしまった

わたしはもう、あなたをあいせない

あいするしかくなんて、もうもっていないのだから

ミルイチェ、ごめんなさい

×××て×

 

 

ーーーー

 

 

 ミルイチェは子供部屋で横になっていた。なんだかそわそわして、寝れなかったから。

はやく、エスティヴィミール帰ってこないかなぁ。とふと思っていた。

と、子供部屋で何かが光った。

なんだろう、もしかしてまたガラス玉かなぁと思い起き上がってその光った場所にいくとそこには、鏡の破片が落ちていた。

ミルイチェは彼と出会ったあの日のことを思い出す。

そういえば、私は鏡からこの世界にやってきたんだよなぁ。

もう随分懐かしい事のように思える。あの時は帰りたいとずっと思っていたが、今はもう、あっちの世界に未練はない。

だって帰ったところで、誰も帰りなんて待っていないんだから。

と、急に子供部屋の扉が開く。

「…エスティヴィミール?」

ミルイチェは扉の方を見ると、そこにはエスティヴィミールではなく、口の中に飴を加えた夢魔の姿があった。

「はじめましてぇ!ミルイチェちゃん。僕は夢魔のユメリー。どうぞよろしくぅ〜!」

大きな鎌を持って登場したその夢魔は、スキップしながらミルイチェの方に近付いた。

「残念だったねぇ、愛おしのエスティヴィミール君じゃなくて!ははは!」

「い、愛おしのエスティヴィミールくんだなんて!」

ミルイチェは顔を赤らめる。が、夢魔はそんな事を気にせず話を続ける。

「にしても馬鹿だよねぇ君。エスティヴィミール君の本当の正体もしらず、彼のことを愛しているんだから。」

「それは…?」

「知らないんだろうねぇ。君は。エスティヴィミール君の正体は、君の母親の醜い感情だって事!」

「母様の…?」

ミルイチェはそれが信じられなかった。だって、エスティヴィミールは。

「ふふふ、だったら教えてあげるよ。エスティヴィミール君のことを。彼はね、君の母親が抱いていた感情から生まれたんだ。だから、彼の抱いている感情は、愛なんかじゃない。殺意であり、憎悪なんだよ。そしてその感情は、君に向けられていたんだよ、ミルイチェちゃん。彼は君を笑顔にしたい、だなんていってるけどあれはただの嘘だよ、嘘。だってあいつにそんな感情は存在しないんだよ。嫉妬から生まれた奴が、そんな感情持つと思う?それにさぁ、エスティヴィミール君が最初に君を殺しにかかったこと、あれ覚えてる?あれこそが本当の彼なんだよ。君を殺したくてたまらない!あぁなんて愚かなんだろうね!うふふ!」

ユメリーは笑う。ただただ笑う。

ミルイチェは、エスティヴィミールが母親の憎悪から生まれたことに、ショックを受けた。最初に彼が自分を殺しにかかって来たのは、自分を殺したいという母の感情からだったということに。しかし、ミルイチェは絶望しなかった。

「…例え、」

「ん?」

「例え、エスティヴィミールが母様の感情から生まれたんだとしても、それはもう過去のことよ。母様が自分のことを嫌っているのは知ってたけど、殺したいほどに憎んでいたことは確かにショックよ…。でも、そんなのもう、分かっていた事よ。母様が私を見ないのも、母様が私を無視するのも。だってそれは、私が父様を殺したから!私が父様の代わりに、生き延びてしまったから…。母様が私を殺したい程憎むのは、もう、わかっていたことよ…。でも、言ってくれてありがとう。だったら、私はそれを受け入れるわ。嫉妬も、殺意も、憎悪も。全部全部受け止めるわ。だってそれは全て、エスティヴィミールの一部であり、母様の一部なんだから。人間は誰しも、そういった感情を持つわ。でも、その感情だけじゃない。愛情だったり、喜びだったり、そういった感情も、必ずあるの。エスティヴィミールは、それらの感情を手に入れた。私に対して、そういった感情を持ってくれた。だったら、母様も、それを抱いてくれるようになるわ。だってエスティヴィミールは、母様の感情から生まれたんでしょう?だったら、あり得なくないわ。」

ミルイチェは希望を持っていた。ユメリーの与えた絶望に負けないほどの、大きな希望。

ユメリーはただ、つまらなさそうに顔を歪めた。

「はぁ、ムカつく。あいつもだったけど、お前ら揃いも揃って愚かだなぁ。」

ユメリーは大きなため息をつく。そして、口に含めていた飴を吐き出し、足で踏みつぶした。

「そうだ、もう一つ別件で話があったんだ。」

そういったユメリーは不満げに歪ませていた顔から一変し、また楽しそうな顔を浮かべた。

「君がこの世界にきてから、この鏡の世界が崩壊を始めているんだよ。君は元々この世界の住人じゃないから、その影響でこの世界が壊れていってるんだよ。君、以前黒い化物に教われただろ?あれはこの世界の番人で、君を殺すことによって崩壊を防ごうとしていたんだけど、馬鹿なことにエスティヴィミール君が消滅させちゃってね〜。自分が生きていくための救済システムなのに、それを自分で壊すとか、本当馬鹿だよね〜!そうそう、そのエスティヴィミール君はこの世界の王様でね、ここでしか存在できないから、君がここにいると彼は消滅しちゃう運命なんだよ〜!そう、この猫みたいに。」

といってユメリーが取り出したのは、一匹の黒猫。

チリンと音をたてたその鈴は酷く既視感があった。

「まさかそれは…!」

「ミルイチェちゃんの大好きな猫ちゃん、ダイナちゃんですぅ〜!ぱんぱかぱーん!死体となって再会したね!そして消滅ぅ!」

その言葉と同時に、ダイナは姿を消した。

「ダイナ…!」

「うふふ、君にとってはこっちの方がショックだったかもねぇ!」

ミルイチェは涙が流せなかった。あっけなく跡形もなく消えたダイナ。

「でもいいのぉ?早く抜け出さなくて。ほら、消滅が始まったみたい。」

突然地震が襲う。崩れる子供部屋。崩れる世界。

「このままだと、エスティヴィミール君は消えちゃうよ?」

出口は最初に君が入り口として使った鏡だよ、さぁ早くしないと、エスティヴィミール君は死んじゃうよぉ?

そういい残して消えたユメリー。ミルイチェすぐにその鏡に向かう事が出来なかった。

もし、このまま世界が崩れてしまったら、エスティヴィミールが消える…?

そんなこと、絶対に嫌だった。でも、彼とは約束したのだ、ずっと一緒にいるって。

いまここを抜け出してしまえば、彼とはもう一緒にいられない。でもこのままじゃ…!

ミルイチェは葛藤した。そして決めた。エスティヴィミールにこのことを話そう。そして、伝えよう。

自分の気持ちと、その名前の意味を。

ミルイチェは急いでエスティヴィミールの元に向かった。

 

 

ーーーー

 

 

 エスティヴィミールは急いで子供部屋へと向かっていた。突然なり響いた爆音、崩れた子供部屋。

そこにはミルイチェが眠っているはずだった。彼女は大丈夫なのだろうか。急いで、急いで会いに行かなくては。

そして伝えなければ、君の母親の、本当の気持ちを。

子供部屋が見えてきたそのとき、夢魔の姿が見えた。

あいつ、なんでミルイチェに…!

今すぐ殺してやろうかと魔法の準備をしていると、いきなり目の前にその目的の人物が現れる。

「やぁ。」

鎌で攻撃し、エスティヴィミールの魔法展開を止めた。

「お前、ミルイチェになにを言った。」

「別になにもぉ〜?ただ、彼女は君がいないうちに、何かを探しているようだったから、どうしてそんなことをしているのか聞いたんだよ。そしたら彼女、なんとここから出る世界を探しているみたいだよ!なんだかんだいっておきながら、彼女は君を置いて行くみたいだねぇ〜!可哀想に!ふふ!」

そういって夢魔は姿を消した。

エスティヴィミールはそれが信じられなかった。彼女とは約束したのだ、ずっと一緒にいようと。

なのに、それは、嘘だったというのか。

自分を騙して、外へ逃げ出そうとしていたのか。

彼女は、ずっと逃げる気でいたのか。

そんな気持ちが、エスティヴィミールの心を支配する。それが、ユメリーの嘘とも知らず。

「エスティヴィミール!!」

彼女の声が聞こえた。あぁ、憎たらしい。

そうか、彼女は自分を愛していなかったのか。

でも、それでもいい。だって自分は、彼女のことを愛しているから。

逃げようとするなら、逃げられないようにすればいい。

足を切って、手を切って、鎖をつけて、逃げないように監禁すればいい。

あぁ、最初からそうしていればよかったかもしれない。

エスティヴィミールは、もう誰の声も聞いていなかった。

 

 

ーーーー

 

 

 子供部屋から抜け出すと、そこにはエスティヴィミールの姿がいた。

「エスティヴィミール!!」

彼の名前を叫ぶ。あぁ、はやく彼にこのことを伝えないと!

しかし、彼はその声を聞いていなかった。

突然、両腕を掴まれる。

「い…っ!」

腕に痛みが走った、でも、そんなことはどうでもよかった。

「え、エスティヴィミール…?」

彼の顔は出会ったときよりも酷く歪んだ顔をしていた。

ミルイチェはさっと顔を青くして、エスティヴィミールから離れようとする。

そんなミルイチェの様子をみて、エスティヴィミールはさらに力を込めた。そして、ミルイチェを押さえ込んで首を絞めた。

今までよりずっと強い力で、彼女の首を絞めた。

とくとくと、血管が動いていた。あぁ、心地いい。

ミルイチェは苦痛で顔を歪ませる。エスティヴィミールは喜びで顔を歪ませる。

「僕は、君の笑顔が大好きだったけど、やっぱり、こっちの顔の君の方が好きかもしれない。」

にこりと笑う彼。しかし、目は笑っていなかった。

「僕のもとから逃げようだなんて許さない。僕はこんなにも君を愛しているのに。こんなにも君を愛しているのに!」

「え、エスティヴィミール…お願い聞いて…!」

エスティヴィミールは続ける、ミルイチェの首を絞めながら。

「…だったら、逃げられないように、手足を切って、首輪につなげてあげる。ずっと僕と一緒にいるって約束したもんね。ずっと僕のことを愛してくれるんだよね。だったら、逃げないでよ。ずっと僕の側にいてよ。ずっと僕を愛してよ。僕もずっと君の側にいるし、ずっと君の事だけを愛してるから。」

エスティヴィミールが魔法で剣を作る。そして、それでミルイチェの足を切る。

「ああああああ!!!」

悲鳴を上げる少女、笑い声を上げる青年。

首を絞める力がさらに強まり、ミルイチェの意識はもう朦朧としていた。

…これはもう、死んじゃうかもなぁ。

切られた部位から溢れ出る血が収まらず、あたりは一面赤色になる。

ミルイチェは残った力をすべて振り絞って、エスティヴィミールにキスをした。

そして、こういった。

「ねぇ…もう、エスティヴィミールは、私の言葉を信じてくれないかもしれ…ないけど…お願い…これだけは、信じて…」

エスティヴィミールは驚く。ミルイチェは続ける。

「私が貴方につけた名前…え、エスティヴィミール…の言葉の意味…」

ミルイチェは力を振り絞る、残された力はもうあとわずか。

彼女は、もうエスティヴィミールの姿をみることができなかった。

「エスティヴィミール…この言葉はね…どこかの国で…あ、愛してるって…意味なんだ、よ…?」

「私、ずっとずっと、エスティヴィミールのこと、愛してるよ…」

ミルイチェは笑って、この言葉を呟いた。

全ての力が抜けて行く、もう、なにも感じないや。

真っ暗な世界がミルイチェの視界を支配した。

ミルイチェはもう、動かなかった。

ただ、幸せそうに、笑って二度と覚めない眠りについた。

 

 

ーーーー

 

 

 エスティヴィミールは絶望した。

愛してる、そういい残してミルイチェはいなくなった。自分の手によって。

ただ、そこで安らかに眠っているミルイチェを、冷たくなってしまったミルイチェの身体を抱きしめ、彼は初めて泣いた。

ミルイチェ、ミルイチェと。

愛しい名前を何度も叫びながら。

そこに、夢魔が現れる。

くすくすと笑う、夢魔が。

「…貴様。」

「…言っとくけど、僕のせいじゃないからね。全部君が悪いんだから。僕の言葉に騙されたのも君、彼女の言葉を聞かずに彼女を殺したのも君。僕はなんにも悪くない!あぁ、でも彼女も悪いよね。だって僕の話した嘘を、全部信じちゃうんだから!まぁあの猫は本物だけど。うふふ!馬鹿だよねぇ本当!」

夢魔はただ笑った。こういうのを求めてたんだよと言いながら。

うふふ、ふふふ。

止まらない夢魔の笑い声。止まらない殺意。

エスティヴィミールは、ミルイチェの身体に結界を展開した後すぐさま魔法を展開し、夢魔に向かって攻撃を仕掛ける。

それをあざ笑いながら、夢魔はすべての魔法を相殺する。

「あのさぁ、馬鹿なの君。この世界の神であるこの僕に、こんなちっぽけな世界の王様が勝てると思ってるの?」

夢魔は飴を作り出す。エスティヴィミールの溢れ出る殺意を材料に、赤い飴を。

飴を舐めながら、エスティヴィミールの魔法を余裕で消していく夢魔。

その力は圧倒的だった。

夢魔はエスティヴィミールの攻撃が止まった瞬間、彼に向かって鎌を振りかざす。

彼は傷だらけだった、しかし、夢魔は無傷だった。

エスティヴィミールは己の持つ全ての力を使った。

彼の後ろには、様々な形をした武器が作り上げられる。

対する夢魔は、鎌一つ。

圧倒的な数差だったが、目の前にいる神にそんな差は関係がなかった。

襲いかかる、武器の数々。

それを一つ一つ、飴を舐めながら処理していく夢魔。

しかし、さすがに神とはいえど、彼女の身体に傷はついていく。

だが倒れることはなかった1000を超える数の武器だったが、夢魔の身体に致命傷は一つも与える事が出来なかった。

「いい加減に、大人しくしなよぉ!!!!」

夢魔がエスティヴィミールに襲いかかる。彼は、その攻撃が防げるほどの力を持っていなかった。

胸部から腹部にかけて、大きな傷が出来上がる。致命傷だった。

彼は倒れる。神に致命傷一つ与えられず、ただ殺される。

と、エスティヴィミールは何かに気づいた。ポケットの中を探ると、それはミルイチェから貰った金色のガラス玉だった。

エスティヴィミールはそれにありったけの力を込める。魔力なんてもう残っていないはずなのに、金色のガラス玉は、黄金色の輝きを放つ。

夢魔は驚く、急いで防御用の結界を張ろうとしたが、それは間に合わなかった。

それよりも先に、エスティヴィミールの魔法が発動する。

世界が、黄金色の光に包まれる。

 

残ったのは、ぼろぼろになった青年と、安らかに眠っている少女だけだった。

 

 

ーーーー

 

 

 夢魔にやられた傷から、大量の血が溢れ出る。

その痛みを我慢して、エスティヴィミールは愛しい彼女の元へと歩み寄る。

しかし、力を失い突然糸の切れた人形のように倒れた。

偶然にも、倒れた場所は眠りについている少女の隣であった。

 

 

 

 ねぇ、僕も君に伝えたかった事があるんだ。

君の名前、実は君の母親がつけたんだよ。

僕を生み出すほどの強い憎しみを持っていたけど、彼女は君の事を愛していたんだ。

だから、僕が生まれたんだね。

君を愛おしいと思う、この僕が。

ミルイチェ、この名前の意味は、あいしてる。

…やっぱり最後は君と、笑い合って、愛してるって、いいたかったな。

 

 初めて出会った鏡と現の境界線である、今では割れてしまった鏡の前で、二人の男女が眠りにつく。

世界は、二人を安らかに眠らせようと、埋葬するように崩れていった。

再び出会ったら、最初にいいたいことがあるんだ。

 

エスティヴィミール/ミルイチェ、君の名前とその意味を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー

 

 

 …あーあ、もったいないことしちゃった。

君の魔力はや存在は、どのアリスよりも素晴らしいものだったのに。

収穫時期、間違えちゃった、ごめんねお兄ちゃん。

まだまだお兄ちゃんを元に戻す事が出来ないや。

失敗しちゃったけど、得たものもあるし、次のアリスの元にいこうかなぁ。

 

ねぇ、ミルイチェちゃん?

 

君たちを再会させるなんで絶対に僕が阻止してあげる。徹底的に邪魔してあげる。

たとえそれが果てしない物だとしても、それが、僕の計画を邪魔してくれた罰さ。

ざまぁみろ。

 

紫のリボンをと三つ編みを揺らしながら、その少女はにやりと笑った。

 

 

ーーーー

 

 

 ユメリーちゃんはあんな事言ってるけど、この世界が全てユメリーちゃんの思い通りにいくと思ってるのかなぁ。

じゃあ、後はよろしく。

君のその願いを叶える力で、彼らを幸せなルートへ進ませてあげてよ。

次はそうだな…獣人の少女と神になれなかった人間とかどう?

え?なんでそんなことをしなきゃならないのって?そうだなぁ…

 

そうしてあげたい気分だからかな

 

 

 

 

mirage  完

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